クラウンフィッシュのめざめ #9
「だーから言ったろ〜がッ!」
留置場の格子扉越しに、警部補が喚いている。
「あのお嬢さんには関わるな、中王区絡みの組織はほっといたって勝手に揉み消されんだから手ぇ出すなって」
――うるさい、黙れ。俺たち警察がそんな弱腰でいるから巨悪がのさばり続けるんだろうが。
「なんだよその目。刑事がブタ箱ん中でなにができるってんだ?」
「……っ」
「言ってみろよ」
銃兎は歯を食いしばり、どうにか打開するための適切な言葉を探した。
「……雑貨店の男の行方を、調べていただきたいんです」
「あー……わかったわかった。もういい、めんどくせぇ、なにも言うな。俺がなんとか話つけて出してやっから、しばらくそこで反省してろ」
「お願いします、急ぎなんです!」
雑貨店の店主がヤクの密売に加担している疑いがあり、このままでは彼女にも累が及ぶと必死に叫ぶも、警部補はかったるそうに煙草を吸うばかりだった。
「いいか。中王区の女どもが思いのままに泳ぎまわるサメだとすれば、お前や俺はミジンコなんだよ」
どうあがいたところで大海を自由に泳げるだけの力はなく、潮の流れに逆らって進む魚にはなれない。波のまにまに漂うだけ――その後も彼の講釈は続いた。
「だからある程度見切りつけろ。権力にはおもねて、長いものには巻かれろ。身分違いの女には手を出すな」
「……無事なんですか、彼女は」
「あぁ、安心しな。それだけは保証するよ。お嬢さんなら今頃、呑気に実家で紅茶でも飲んでるだろよ」
――そうか、無事なのか。途端に体の力が抜けて、銃兎はその場にくずおれた。
「じゃあなロミオ」
それにしても左馬刻のやつ、こんな場所でよく何時間も暇を潰していられるな。妙な感心を覚えながら、銃兎はかすかに笑みを浮かべていた。
そうして為す術もなく、虚ろな目で留置場の床のシミを数えていると、いつの間にか格子扉の向こうに立つ人物がいた。
「と…………さん、――銃兎さん!」
聞こえますか、大丈夫ですか、と呼びかける後輩を横目で捉えると、銃兎は壁に寄りかかったまま静かに答えた。
「これが大丈夫に見えるか」
「み……見えません……。ヤク中が女の家に押し入ってるってタレコミが入ったとは聞きましたが、まさか銃兎さんがブタ箱に――」
「待て、タレコミだと?」
「はい! 電話があったようです」
「何時頃だ?」
「えっと、たしか――」
ちょうど、銃兎が雑貨店を訪れた直後の時刻だった。
「クソッ……!」
銃兎は鉄格子を両手で掴み、それを支えにしてよろめきながらも立ち上がった。
「それと、銃兎さんに頼まれてた雑貨店の男の件ですがあきらかに怪しいですよ!」
「なにか出たのか?」
「なにも。駐車違反すらない真っ白です。ですが、五年前に男の友人から行方不明の相談を受けていたようです。身寄りがなく親族からの相談ではなかったので正式な届け出はされてません。でも俺気になってググってみたんです。SNSのページはすでに削除されてましたが、アーカイブとして残っていた写真があって……これです!」
「骨格からして別人だな」
「やっぱりそうですよね。……この男、何者なんですか?」
「まだ詳しいことは掴めてないが……頼む。ここから出してくれ」
「いや、そうしたいですけど……さすがに無理ですよ。銃兎さんと違って俺には脅しのネタもないですし」
「だったらこの留置場の管理者に取り次いでくれ!」
「む、無理ですって!」
かつては俺も、鉄格子越しにがなりたてるクズ共を冷めた目で見下ろす側だったが、もうこの際だ、恥も外聞もかなぐり捨ててやる。誰にどう見られたっていい。笑いたければ笑えばいい。
押し問答を続けていると、廊下の奥からざわめきが押し寄せてきた。
「おい、中王区が来たぞ!」
非常事態を知らせに駆けつけてきた同僚が叫んだ。
今度はどんな不条理を宣告されるのか――懲戒免職なら慣れたものだが、いくらなんでも特別刑務所送りは困る。銃兎は唇を噛み、拳を握りしめた。
「まったく……次から次へと……!」
コツコツといくつもの靴音と共にあらわれた、その人物を見て、銃兎は目をみはった。
「警視庁警視総監……の、代理で来ました! 至急その人を釈放してください!」
久々に恋人の顔を見た。
久々といっても数週間程度なので、外見上の変化はさほどないはずだが、両脇に中王区の女たちをはべらせているせいか別人のような風格がある。
その気丈な面持ちは、いつになく頼もしく見えた。
あっけにとられているうちに、銃兎は鉄格子の外に出された。
呆然と立ちつくしたまま没収されていた私物を受け取る。スマホとヒプノシスマイク、それに警察手帳も。
「これは一体、どういうことですか……」
答えを求めて彼女に近づくも、左右に控えていた中王区の女に阻まれた。
「この方は警視庁警視総監代理だ。お前が気安く話しかけていい相手ではない」
「それは……失礼いたしました。警視庁警視総監、代理……」
そのやり取りを見ていた彼女は、なにかひらめいた表情をすると、こちらへ向き直り、敬礼した。左手ではなく右手で。まぎれもなく本物の敬礼だった。
――あなたが私の上司にでもなれば、せがまれずともやってみせますよ。
いつだったか、彼女とたわむれてそんな軽口を交わしたことを思い出し、銃兎はふっと笑った。もちろん、あのときはほんの冗談のつもりだった。
銃兎は姿勢を正すと、彼女を正面に捉え、空気を切り裂くような機敏さでこめかみに右手を当てた。答礼を見た瞬間から彼女の笑顔が弾ける。つられて銃兎も笑った。
窓から差しこむ鮮やかな夕日が、二人の横顔をやさしく染めていた。
9話(2023.03.24 pixiv公開)
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