クラウンフィッシュのめざめ #10
『麻薬密売組織、一斉摘発』
『雑貨店経営者、裏の顔は犯罪組織の元締め』
『灯台下暗し、警察署の正面で堂々と営業』
スマホでニュース記事を読みながら、銃兎は満足げに口の端を吊り上げた。
「……入間さん、お待たせしました」
顔をあげると、彼女と出会ったときとそっくりの光景が広がっていて、銃兎は思わず息を呑んだ。
約束の時間を少し過ぎてやってきた彼女は一度銃兎の真横に腰を下ろし、けれどすぐに思い直したらしく、背中を向けて横並びにベンチに座った。偶然に居合わせた他人のように。
いつの間にか季節さえも一巡し、春風が吹き抜ける公園、同じ噴水の前。
あの日と唯一違う点は、彼女が中王区の制服を着ていることだ。
このような事態に落ち着くとは銃兎も彼女も予想だにしなかった。
銃兎が釈放されて間もなく、組織の大方が検挙され、雑貨屋の店主も身柄を確保された。言うまでもなく銃兎の容疑も晴れ懲戒免職も免れている。
これにて一件落着、かと訊かれると、素直に認めるのは難しい。
「新居の住み心地はいかがですか」
「最悪ですよ。入間さんも遊びにいらしてください」
「ふふ……それでは許可証を発行していただかなくては」
結局、彼女は中王区から戻らなかった。
言の葉党の内部でどのような協議がなされ、いかにしてこの落とし所を迎えたのか、銃兎は詳細を知らされていない。
それでも、到底似合わない制服の裾を翻し、奮闘する彼女の様子を見ていると、なんの確証もないが信じようと思えた。自身を獅子身中の虫だと称し、内側から悪弊を取り除いてやるのだと奮いたつ彼女の言葉を。
「例の件、どうなりましたか」
「特に目立った動きはないですよ。それか、まだ私のところまで情報が届いてないだけかも……」
「なるほど……。では今後、なにかあれば一報ください」
二人は時折このように秘密めいた雰囲気で情報交換している。持ちつ持たれつの対等な関係だ。立場上、以前のように気安く人前で話しかけることは難しくなったが、互いの瞳に宿る熱は変わらない。
言の葉党と警察、身の置き場は違えど視線の先に灯る信条は同じだ。
「そちらはどうですか。たしか、特別刑務所の脱獄に加担した被疑者を、ヨコハマは別件で追ってましたよね?」
「まぁ……それについては追い追い……」
「もぉ〜ずっるいですよ。そっちの捜査状況も教えてください」
「ふふ……。特に進展はないんですよ。いえ、ほんとうですって」
「あーあ。また利用されないように気をつけないと」
おどけた感じの口調から、それが彼女なりの冗談であることは明白だった。
釈放後、銃兎は彼女と出会ったときの経緯や思惑をありのまま打ち明けて、その後いかにして心境が変化していったかを語った。二人の間の誤解は解け、わだかまりは残らなかった。彼女は気にした素振りもなく、それどころか皮肉を言って銃兎をからかうほどだ。
「……それはこちらの台詞ですよ。あなた方中王区の女性たちに比べたら、私など一介の警察官はミジンコですから」
「ミジンコぉ?」
ミジンコのようなプランクトンには波に逆らって泳ぐ力はなく、己の意志とは無関係に、潮に身をゆだねて北へ南へ漂うのみだ。
そのようにして持たざる者の無力感をミジンコに例えた表現だと説明するも、彼女からは「ふぅん」と理解したのかどうか、なんともいえない相槌が返ってきた。
「そういえば、赤潮の原因ってプランクトンの増殖らしいですよ。それで、大きな魚も死んじゃうんだって。そう考えたらミジンコもなかなか侮れませんよねぇ」
ぼんやりした相槌に反して、真摯に受けとめていたようだ。彼女が生真面目な声で語るのを聞きながら、銃兎は植木の隙間から見える海に目を向けていた。
太陽に磨かれた水平線は涙が滲むほどにまぶしい。そうしてしばしの間、海中でたゆたう浮遊生物たちに思いを馳せていた。
「……では私も、海の小さき生物ならではのやり方で邁進していきましょうかね」
「いいですねっ! 入間さんがヨコハマの海を赤く染めるの、私にも手伝わせてください」
「おやおや、物騒なことを言いますねぇ」
かつて、銃兎にとっての彼女は庇護すべき対象で、無知で無力なか弱き存在だった。
でも今はもう違う。あの日、留置場に駆けつけた彼女の、芯のあるまなざしに射抜かれた、あの瞬間から。
「なんだか今の私たちって、映画に出てくるスパイみたいじゃないですか?」
「はぁ……」
「ほら……想像してみて。普段はそれぞれの拠点で諜報活動をしていてね、入間さんは銀行員で、私は……アイスクリーム屋さん。月に一度、情報共有のために公園に来て、たまたま居合わせただけってふりをしてね……」
「こうもベラベラと口を動かしてしゃべっていては諜報活動になりませんよ」
「わかりました、私は今から電話をしているふりをします。入間さんは……元々独り言が多いのでそのままで大丈夫ですね」
「あなたって人は、ほんとうに……」
「なぁに?」
「想像力が豊かすぎる」
「入間さんだって」
「銃兎。……と、そう呼んでください、二人きりのときくらいは」
「銃兎」
名前を呼ばれて思わず振り返りそうになった。
けれど、顔を見なくても彼女がどんな表情でいるのかわかる。その声だけで、その甘やかな響きだけで。
ふたたび噴水が吹き上がったのを合図に鳩が一斉に飛び立っていく。キャアキャアと子供の笑い声が響き、潮風が花壇のチューリップをそよがせた。昼下がりのやさしい日差しに目を細め、胸いっぱいに息を吸いこむ。
肌がふれあっているわけでもないのに背中から感じるぬくもりの正体を、銃兎は知っている。
「昼食まだでしたよね。なにか食べたいものありますか」
「カツ丼!」
- E N D -
10話(2023.03.24 pixiv公開)
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