クラウンフィッシュのめざめ #7


 この世界の生き残りはもう、私と銃兎の二人きりだった。

 アダムとイブみたいだねってほほ笑みかけると銃兎も笑った。繋いだ手がぎゅっと握り返される。それだけでよかった。荒廃した世界、黙示録のあとの世界。銃兎がそばにいるならなにも怖くない。

 そんな夢を見た。



 雷鳴に叩き起こされ、時計を確認するもまだ朝の五時だ。寝直そうにもさっき見た夢が強烈で、すっかり目が冴えてしまった。
 仕方がないので、スマホに保存した写真を眺めて暇を潰すことにした。運転中の銃兎、カフェですまし顔してる銃兎、疲れてソファで居眠りする銃兎、キスの直前に目を細めて私を見つめる銃兎。可愛い、かっこいい、好き、大好き。

 そうしてスマホを手に寝返りを打っているうちにあっという間に数時間経っていた。


 出勤時間になっても雷雨は止む気配がなく、この雨は数日続くと朝の情報番組が報じている。

 憂鬱になりながらもどうにか身支度を済ませ、マンションを出ると、遠目からでもそうとわかる女性たちが、つまり中王区の集団が待ち構えていた。


「ご同行願います」


 願いますと乞うわりに、まったく有無を言わさぬ感じだった。

 ついにこの日が、ついに家に引き戻される日が来たのかと絶望していたのに、なぜか車は正反対の方向に向かっていく。



 着いたのはヨコハマ警察署だった。


「あの……なんでここに……?」

「理由は後ほど説明します」


 無理矢理車から降ろされて、好奇のまなざしを浴びながら連れられた先は、見覚えのある部屋だった。銃兎と出会った日、取り調べを受けた部屋。




「お久しぶり〜」

「うわっ」


 そこにいた人物を見て、私は思わず叫んでしまった。


「えぇ〜その反応傷つくぅ。私に会いたくなかったぁ?」


 邪答院仄仄。彼女とはパーティーで何度か顔を合わせる機会があったが、物理的にも精神的にも見下され、毎度これでもかというほどにこき下ろされている。

 恐ろしいことに母は私を(この私を?)ゆくゆくは中王区の幹部に据えようと目論んでいたらしいが、どう考えても邪答院仄仄のような猛者を相手に対等に渡り合える器ではない。自分のことだからこそよくわかる。実際に今も、借りてきた猫になり縮こまっているわけだし。

 彼女を前にすると体の力が抜けて、夢とか希望とか、将来への根拠のない明るい展望とか、そういう一切合切が萎んでゆく。もっとシンプルに表現しようか。怖いんだ。この人が怖い!


「どうしてここに呼ばれたかわかるぅ?」


 説教をし始める教師みたいな問いかけだ。彼女の視線は意味ありげに窓の外に向けられていて「あなたなんて眼中にないのよ」と言われているようだった。事実そうである。


「わ、わかりません……」

「そ〜?」

「あの……」

「最近、銃兎ちゃんと仲良くしてるようだけれど、お母様はそのことをよく思ってないんですって」

「え……」


 三日月形に細められた、彼女の目。恐ろしいのに逸らせない。手足が震えて、全身が凍りついたみたいに寒気がした。


「お母様からぁ、どーにかして引き離してくれって頼まれちゃって、私も困ってるの。このままだと銃兎ちゃん、また無職になっちゃうかもねぇ〜?」


 ――無職、くらいじゃすまないかも。


 彼女はあきらかに、銃兎になんらかの危害を加えるとほのめかしている。いや、これは完全に脅しだ――でも、なんで? 母の反対は予想していたけれど、なぜ邪答院仄仄みたいな大物が絡んでくるんだろう。

 そんな疑問を抱いていると、彼女はすべてを見透かす不敵な笑みを浮かべた。




「銃兎ちゃんを連れてきてくれる?」





7話(2023.03.24 pixiv公開)


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