クラウンフィッシュのめざめ #6


 折悪しくも仕事が立て込んで会いに行けなかった、というのは言い訳だ。

 実際のところ、どんな説明をすれば彼女を傷つけずに事実を正確に伝えられるかと苦心しており、そのためには距離を置き冷静に考えるだけの時間が必要だった。


 しかし、いざ覚悟を決めて電話をかけてみるも、彼女の声は聞けず留守番電話サービスのアナウンスが耳に残るばかりで、メッセージを送っても返信はない。近頃は雑貨店にも来ていないようだった。


 もしかすると、と銃兎は考えた。
 彼女も気まずさで銃兎を避けているのかもしれない。あるいは怒っているのか。彼女とは喧嘩らしい喧嘩をしたことがなかったので、腹を立てたときにどのように振る舞うのか想像もつかないけれど。考えれば考えるほどに不安は募っていった。

 たとえば中王区の親類によって強制的に連れ戻されたのではないかとか、なにか厄介な事件に巻きこまれたのではないかとか、そんな悲観的なことばかりが頭をよぎる。



 たまりかねて雑貨店を訪れた銃兎を待っていたのは、臨時休業を知らせるそっけない紙切れだった。


 幸いにもシャッターは下りておらず、窓から店内を覗くと、花瓶の隙間に人影がちらついたように見えた。誰かいるとしたら店主だろうか。


「こんにちは〜ヨコハマ署の者ですが〜中にいらっしゃいますよね〜?」


 大声で呼びかけ続けると、大儀そうな様子で男があらわれた。店の外に出る気はないようで、ドアの隙間から渋々顔を出している。

 この狡猾そうな初老の男が、彼女が店長と呼び慕っている人物なのだろうか。銃兎のイメージしていた店長の風貌とはかけ離れた、ぬくもりの感じられない鋭い目をしている。


「……どうしました」

「お休みのところお騒がせしてすみません。本日は臨時休業なんですね」

「えぇ。この通り……」


 そう言って、男はドアに貼られていた臨時休業の紙を指で弾いた。


「あなたはたしか……入間さん、ですよねぇ」

「えぇ、申し遅れました。私ヨコハマ署の入間です」

「はは。お噂はかねがね……」

「そうでしたか。では話が早いですね。じつは――」


 この店に勤めていた女性と数日前から連絡が取れず、行方を探っているのですが。銃兎がありのまま伝えると、店主は一応驚いた表情をしてみせた。しかしその顔はどこか嘘くさく、含みのあるように思われた。


「あの……少しお話を伺えますか?」


 銃兎がドアノブに手をかけると、店主は中に入らせまいとドアを閉めるので、すかさず足を挟んで阻止した。靴先がガラス扉にぶつかって、がしゃんと派手な音が響く。


「彼女はここにいませんよ」

「えぇ、そうでしょうね」

「数日前に店を辞めたんです。なんでも実家に帰るとかで」

「辞めた? 実家に?」

「はい」

「…………」

「週末には引っ越すと言っていました。今から家に行けば会えるかもしれませんね」

「なるほどなるほど。つまり、彼女のもとに行けと、この私を仕向けているわけですか」

「いえいえ、そんな仕向けるだなんて。……あぁでも、彼女に貸したままの本があるんですよねぇ。入間さん、取ってきていただけませんか? 指輪の絵が表紙の本で、たしかタイトルは……」


 しらじらしい薄笑いで銃兎を挑発している。

 男の目的については現時点で定かではないが、なんらかの企みにより銃兎を誘い込んでいるのはあきらかだ。


 とはいえ、たしかに店内には誰もいないようだし、こうも露骨に煽られると、かえって策略に乗ってやろうかという気になった。銃兎は自分が冷静さを欠いた自覚があるが、かといってその衝動を抑えることはできなかった。

 それに、このタヌキジジイに促されずとも、どのみち彼女の家を訪ねるつもりだったのだ。



 後輩に電話をかけながら、銃兎は駐車場まで走った。


「もしもし、入間です。至急、調べていただきたい人物がいまして……」






       *



 何度かインターフォンを鳴らしてみるも、彼女が出てくる気配はなかった。

 部屋の前で電話をかけてドアに耳を当ててみたが物音ひとつしない。


「チッ……」


 銃兎は舌打ちをして、手元の鍵を見つめた。以前渡されていた合鍵だが今まで一度も出番がなく、持っていた事実さえ忘れかけていた。

 しかし、合鍵を使う状況としては、約束の時間に外出していたとか、ちょうど風呂に入っていたとか、ある程度彼女の許しを得た前提のシチュエーションを想定していたはずだ。暗黙の了解として銃兎はそのように受け取っていたし、彼女としてもこのような不在時に侵入させるため、渡したわけではなかろう。


 いくら恋人といえど、いや恋人だからこそ、不文律を破った悪質な裏切りだ。

 これが明るみに出れば、またさらに彼女の信頼を失うとわかっていたが、なりふり構っていられる状況ではなかった。



 ――できれば俺も、こんなことはしたくないが。

 胸の内で見苦しい言い訳を並べながら、薄氷を踏む思いで合鍵を回した。


 あまり長居はできない。スマホで写真を撮りつつ探っていく。

 まずは玄関。彼女のお気に入りの靴がなくなっている。次いでリビング。片付いてはいるが、逆に片付きすぎた不自然さがあり、冷蔵庫はほぼ空だ。

 洗面台を探るが、泊まりに来る際は必ず持参していた化粧品一式が見あたらない。

 クローゼットからいくつかの服もなくなっており、引き出しには奇妙なスペースがあいていた。寝室のサイドテーブルにあったはずの写真立ても消えている。そこには二人で撮った夏の思い出の写真が、銃兎と彼女の笑顔が、向日葵と共に咲き乱れていたはずなのに。


 感傷的になっている暇はない。

 寝室の本棚に目を移すと、店主が言っていたタイトルが並んでいた。指輪の絵の表紙で、いつかの夜に彼女が読んでいたのを目にした覚えがある。ぱらぱらとめくってみるが特に変わったところはない。

 ただし、裏表紙の内側にわずかな膨らみがあり、なにかが挟まっていそうだった。


 慌ててハサミを探し出し、裏表紙を切り開いてみると、少量だがビニール袋に入った白い粉末が出てきた。


「あんの野郎……ッ!」


 ドクンと胸が痛み、視界がぼやけた。気が遠のくほどの怒りと衝撃に銃兎はよろめき、深呼吸を試みる。


 ――落ち着け、落ち着くんだ。

 呼吸を整えながら銃兎は自身に言い聞かせた。


 彼女がヤクに手を出すわけがない。

 こうして本に隠されていたのが確かな証拠だ。雑貨店の男は彼女を、もしくは俺を、あるいは中王区絡みなのか、とにかく彼女を利用して何者かを陥れるために仕組んだはずだ。彼女がヤクに手を出すわけがない。絶対にそんなことは、ありえない。決して。

 銃兎が彼女の素性を知ったように、おそらくは履歴書を受け取ったであろう雑貨店の店主も同様に、彼女に利用価値を見いだしたのだ。

 銃兎はそう結論づけると、もう一度大きく深呼吸をした。


 そうして粉末をポケットにしまうと、手に持ったままのハサミを置いた。
 デスクにはつい今しがた使われていたかのように便箋が散らばっており、そこから転がったのか、ペンが床に落ちている。

 まだ動悸がおさまらない。震える手でゴミ箱をあさると、ぐしゃぐしゃに丸められた紙が出てきた。


『銃兎へ。さよならも言わずにごめんね。』


 か細く頼りない筆跡だが、それは間違いなく彼女の字だった。たった一行の、書きかけの手紙だ。けれど銃兎にとっては十分すぎる手がかりだった。


 一部分だけ文字が濡れたように滲んでいる。それが涙の跡だと気づくと、銃兎はそこを愛おしげに指でなぞった。そして思い浮かべた。別れの言葉を書き残そうとし、書ききれず、苦悩する彼女の震える背中。裏切られ、傷ついた彼女の心を思うと、やりきれなかった。

 この世のあらゆる危険から彼女を守りたいと思っていたはずが、あろうことか自らの手で傷つけてしまうとは。
 なんと愚かで、なんと傲慢だったろう。


 多すぎるほどの手がかりをもとに、刑事として導き出したひとつの答えの、その重さを受け止めきれず、銃兎は床に膝をついた。皺だらけの手紙を持ったまま、しばらくの間立ち上がることができずにいた。





       *



 憔悴した銃兎を待ち構えていたのは見知った顔ぶれだった。

 彼女の部屋を出てすぐ、マンションの狭い廊下にぞろぞろと立ち並ぶ同僚たち。銃兎はなにも言えずに唖然と立ちつくしていた。

 罪名を告げられた気がするが、銃兎の耳にはそのほとんどが届かなかった。抜け殻になった体が自分の意志とは無関係に運ばれてゆく。





6話(2023.03.24 pixiv公開)


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