クラウンフィッシュのめざめ #2
それからというもの、銃兎は毎日彼女を監視していた。
さすがにホテル前で一日中張り込みしてはいられないが、近隣ビルのオーナーに対し反社会的勢力との密接な関係をネタにゆすりをかけ、令状なしで防犯カメラの映像を手に入れたので、彼女が外出した時間や頻度くらいなら容易に把握できた。
その映像によると、彼女は数日前からほぼ同じ時刻にホテルを出て、ほぼ同じ時刻に戻っているようだった。
――まさか、ほんとうに雑貨店の求人に応募したわけではないだろうな。
確証を掴むべく、銃兎は雑貨店に向かった。
「おやおや……」
ヨコハマ署正面の、ビル一階。
雑貨店に入ると、そこにはぎこちないながらも懸命に働く彼女の姿があった。
マイペースさは相変わらずのようだが、彼女のゆったりした雰囲気は店の佇まいと似通うところもあり、屈託のない笑顔は客の心証もいいだろう。
店内を見まわすと、アンティーク風の小物や、家具、食器、観葉植物等、意外にも豊富な品揃えだった。海外から取り寄せたらしき小物も多い。普段はシャッターが閉まっている印象だが、店主にとってこの店は道楽なのかもしれない、と銃兎は思った。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは。またお会いできるとは、ご縁が続きますね」
「あ〜!」
銃兎に気づくと、彼女はおおげさに明るい声をあげた。
「えーと、おまわりさんの……」
明るい声をあげたわりに、銃兎の名前を失念したようだ。
その間、銃兎はあえて助け舟を出さずニコリとし、彼女の困り顔を眺めていた。
「あはは……」
「ふふふ……」
「……入江さん?」
「入間ですぅ」
――この女ッ……わざとか?
「あぁ〜すみませんっ! そうでした! イルマさんっ!」
一応侘びてはいるものの、まったく悪びれた様子はない。
銃兎は内心いらだちながらも、一般女性用の営業スマイルを無理に浮かべて作戦に挑んだ。お嬢様籠絡作戦である。
「お元気そうでよかったです。いつからこちらに?」
「二日前です」
「二日前……それはそれは」
――やはり、俺の読み通りだったな。
腹の底でほくそ笑む銃兎をよそに、彼女はピースサインをして、指を閉じたり開いたり楽しそうに繰り返していた。
「今夜食事に行きませんか。ハンカチをお返ししたいですし、先日の捜査協力のお礼も兼ねて……」
「今夜、ですか?」
「えぇ。ご迷惑でしたか? なにかご予定があるなら日を改めますが」
「いえ、予定ってほどじゃないんですけど、そろそろ家探しをしようと思ってまして」
「ほう」
いい機会だ、ここで恩を売っておこう。そんな魂胆を隠すように銃兎はとびきりの甘い笑顔を向けた。
「よろしければご一緒しますよ。職業柄、防犯性の高い物件かどうかの見分けならつきますし。それに、そういった契約を結ぶときは男がいたほうがなにかと心強いでしょう」
「そう……ですねぇ……」
見るからに世間知らずの小娘一人では舐められるだろう。そのようにして、銃兎自身が彼女を侮っている節があった。
「では、また後ほどお迎えにあがりますね」
*
不動産仲介業者が案内する物件は「女性も安心」という謳い文句でありながら、セキュリティの甘いお粗末な部屋ばかりだった。
銃兎は腕組みをして、紹介される物件を一刀両断に酷評していく。
「ほら、見てください。マンション脇のスペースに物置があって、さらにその上に室外機が……そこを足場にして登り、排水管などを伝ってベランダに侵入される恐れがあります」
「そんなスーパーヒーローみたいな超人能力を……」
「やつらの忍耐強さを見くびってはいけませんよ。悪事を働くためであれば何時間でも暑さ寒さに耐え、飲まず食わずで潜伏しますからね」
「入間さんまた怖いこと言ってる〜」
「たしかに恐ろしいですが、事実そういったリスクはありますから、用心するに越したことはないですよ」
「そーですけどぉ〜……」
「次が最後の物件になります」
「入間さん! 最後ですよぉ?」
「最後って……ヨコハマにはほかにいくらだってマンションがあるでしょう。無理にこの会社と契約を結ばなくたっていいじゃないですか」
「「そんなぁ〜」」
彼女と担当者の嘆きが重なって響いた。
最後に通された部屋は、内見した中では比較的ましな防犯対策がなされており、安全かつ住み心地もよさそうだった。
南東に面して大きな出窓がある。夜明けとともに朝日が差しこみ、気持ちよく目覚められるだろう。見晴らしもいい。銃兎のマンションと署の間に位置し、彼女の動向を窺いやすいという意味でも適した物件だった。
「オートロック、三階の角部屋、周囲に足場になりそうなものはなし……。1LDKにしては割高ですが、悪くない物件ですね」
「決めました! 私ここにします!」
「え?」
「ありがとうございます! それではご契約内容ですが――」
二人が話を進めようとするので、銃兎は慌てて間に入った。
「あの、さすがに決断が早すぎやしませんか? 普通もっとこう、収納の数を確認するとか、水回りの清潔さをチェックするとか……」
「いーんです、ここにします」
「予算超えてませんか? スーパーも少し遠いですよ? 幹線道路も近いですし、騒音も――」
「入間さんもさっき言ってたじゃないですかぁ。フム、悪くないですねぇって!」
「それは、たしかに言いましたけど……」
「明日から入居してもいいですかっ?」
「私の話、聞いてます?」
結局彼女は賃貸契約を締結させてしまった。
「よかったんですか。あんなふうに、コンビニで買い物をするみたいに安易に決めてしまって」
「いいんですよぉ。ダメだったらまた引っ越しますし」
この女、見かけによらず豪胆だな。
というより、楽天的で細かいところが気にならないだけかもしれない。自分とは相反するタイプだと銃兎は思ったが、どういうわけか周囲にはこういった人物が多い。
銃兎は駐車場に向かいながら、隣にいる女性とこれまで出会ってきた人々の姿を重ねていた。
「そうでした、ハンカチをお返ししていなかったですね。先日はご親切にありがとうございました」
車に乗りこむと、銃兎は後部座席に置いてあった紙袋を彼女に手渡した。
「お返しいただかなくてもよかったのに」
「そうはいきません」
「あれ……? これって、ハンドクリームですか?」
「心ばかりではありますが、あの店は乾燥してますし、ご入り用かと思いまして」
彼女は嬉しそうにありがとうございますとすみませんを交互に繰り返した。
「入間さん、今日はほんとうにありがとうございました。家探しのお礼に、私にご馳走させてください」
「いえ、こちらからお誘いしたので私に――」
「ちょっと遠いんですけど、おすすめのお店があるんです。今電話で予約しちゃいますね――もしも〜し」
「あのぉ、私の話聞いてます? 遠いってどのくらいですか?」
彼女がおすすめと称した店は、店構えからしていかにも高級レストランといった風格で、銃兎はひそかにたじろいでいた。
彼女は奢ると言っているが、年下の女性に払わせるのは気が引けるし、とはいえこのランクの店――メニュー表に価格表示のない店の支払いだ、はたしていくらになるのやら。
そうして銃兎が怖気づいている間に、彼女はじつにスマートな振る舞いで、銃兎の好みに合わせて注文を済ませていた。
「ワインは……あっ、車で来てるんだった。ノンアルコールのカクテルはありますか?」
「ございます。こちらに――」
「じゃ、これで。入間さんは?」
「私も……同じものを……」
「かしこまりました」
「…………」
「入間さん? どうしました?」
「いえ……、なんでもありません、よ……?」
俺は笑えているだろうか。
彼女の落ち着き払った佇まいを見ると、むしろそれにより銃兎の不安はいっそう募った。
しかし、いざ料理に口をつけると、強張っていた銃兎の顔はたちまちほぐれてゆき、二人の口元にはおのずと笑みが浮かぶ。
「ん……。これ、美味しいですねぇ」
「よかった〜」
「なっ……このチーズ、香りも良いしコクがあって……うまい……! ワインが飲みたくなりますねぇ」
「今度は車を置いて来ましょ〜」
――今度。少なくとも次回を想定されるだけの好感をもたれているということか。及第点には達したと解釈し、銃兎は内心安堵した。
二人はフルコースを堪能し、結局支払いは彼女がした。
出されたカードの色を見て、銃兎はすごすごと引き下がるしかなく、さきほどたった数万の家賃を案じたことを後悔していた。
「次は私にご馳走させてください。家探しのお礼があのディナーではさすがに釣り合いが取れないですし……」
「お礼のお礼を続けたらずっと終わらないですよ」
「では、お礼のお礼のお礼は結構です」
「あはは。なんか早口言葉みたい」
彼女を懐柔するつもりが、かえっていいように振り回されている。銃兎はかすかな敗北と危うさを感じ、その一方で、たまにはこんな夜があってもいいかと思えた。
笑いあいながら食事をして、ばかばかしい掛け合いをするうちに過ぎていく夜。高級フレンチでなくたっていい。彼女となら、張り込みの合間に齧りつくコンビニのパンだったとしても、今夜と同じように和やかな雰囲気でいられる気がした。
かつては当たり前にあった団欒のひとときを思わせるムードに、銃兎はめずらしく感傷に浸っていた。
歌うような彼女のおしゃべりをバックミュージックにして、二人を乗せた車はヨコハマに向かって進んでいく。
2話(2023.03.24 pixiv公開)
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