熱よ、伝播せよ(花京院)
アルバイトが禁止だなんて、今の今まで知らなかった。
「よりによって、学校の前のコンビニはまずいだろォ~」
夏休み明けの、ただでさえ憂鬱な九月一日に、生活指導の教員から呼びだされるとは。私は精一杯反省した顔を作り「すみません、知りませんでした」と小声で一言。
「だいたい、せっかくの高校生活、部活もせずバイト漬けはもったいないぞ」
余計なお世話です。私は胸の内で呟く。
「そうだ。図書委員が足りないらしいんだ。きみ、入ってやんなさいよ」
横から口を挟んできたのは教頭だ。図書委員? なんでまた唐突に。
「あぁ、それがいいですね。さすが教頭」
「私がァ? トショイインにィ? もう体育委員なんですけど」
「じゃ、この件は解決ということで。さぁきみ、さっそく図書室に行きなさい」
どうやら教頭なりに助け舟を出してくれたつもりらしい。ここは素直に従っておいたほうが楽だろうか。どうせたいした仕事もないはずだし。
「……で、図書室ってどこにあるんですか?」
図書室は校舎の隅にひっそりとあった。ノックしてみるが返事はない。ドアに鍵はかかっていなかった。
「こん、にちは……」
西日の差しこむ室内には、置きすてられたピアノのように寂しくて古びた香りが漂っている。ぐるりと見まわすと、図書カウンターで本を読む生徒がいた。
見覚えのある顔だ。たしか、隣のクラスの男子で、名前は――、
「隣のクラスだよね。えーと……名前、なんだっけ。あなた、トショイインなの?」
「きみこそ誰だい?」
「私は……バイトしてたことがバレて、あの~、バイトって言ってもコンビニのバイトなんだけど。とにかく手伝えって教頭とセーカツシドーに言われて来たの。意味わかんないよね……うちの高校、バイト禁止なんだってさ。……知ってた?」
彼は心の底から興味がない話題だというふうに、思いきり眉をひそめた。
「……花京院」
「カキョーイン? へぇ、そういう名前なんだ。変わってるね」
彼はなにも答えなかったが、どうやらそれが正解らしい。
「トショイインのカキョーインくんかぁ。えへへ、なんかリズミカル。……それで、私はなにをすればいい?」
花京院くんは手元の本に目をやったまま、無言で掃除用具箱を指さした。掃除でもしていろ、と言いたいらしい。図書室はとくに汚れてもいなかったけれど、私は黙って従うことにした。つべこべ言っている暇はない。なにしろ、このあとバイト先に行って「校則違反だったので辞めさせてもらいます」と、マヌケな報告をしに行くのだから。
そのようにして、私はコンビニのバイトを辞め、図書委員になったのだった。
この学校の図書室の利用率は著しく低いようで、私が図書委員になって三日経った今なお利用者はあらわれない。唯一教頭が様子を見にきただけだ。
まったく退屈極まりないが、教頭が来るからにはいちおう、図書委員をしているふりくらいはしておこう。実質これは校則違反の罰なわけだし。
「私たち、ここにいる意味あるかなぁ。どうせ誰も来ないのにさ」
ひと気がないのをいいことに、図書室のソファに仰向けになり、求人情報誌を眺める。次のバイトは誰にも見つからないように隣町で探すつもりだ。
花京院くんは図書カウンターの向こう側で頬杖をついている。彼もまた退屈そうだった。
「花京院くんはどうしてここが好きなの? ていうか、好きなの?」
「べつに、好きじゃあないさ」
「だったらどうして」
「静かだから。……いや、静かだったんだよ。つい先日まではね」
「ははぁん。つまり〝きみが来てくれて話し相手ができたよ。うれしいな。きみはぼくの図書フレンドさ〟ってことね?」
私が言った冗談に、花京院くんは妙な形の虫でも見たように顔を歪ませた。
「なんだいそれ、ジョークのつもりかい?」
きみのユーモアには知性の欠片も感じられないな。本でも読んで教養を高めるといい。ほら、幸いここにはたくさんの本があるわけだし。彼は無口だが、私をこき下ろすときにかぎってはえらく饒舌になる。花京院くんはカウンターから出てくると、渋い顔のまま本を物色し始めた。彼が選んだタイトルは難解そうな本ばかりだ。
「私、こういう本は読まないよ。好きなのは……そう、これとか」
「星の王子さま? 子ども向けじゃあないか」
「たしかに分類は児童文学だけど……とにかく読んでみてよ」
花京院くんは本を受けとると、最初はペラペラとページを捲るのみだったが、気づけば椅子に座って本格的に読みはじめていた。私は彼の真後ろに腰掛け、背中合わせに本を読む。さきほど彼が選んでくれた、愛についての哲学書。
彼が選んでくれた本は、タイトルのとっつきにくさに反してわかりやすい哲学書だった。続きは家に帰って読むとしよう。読書は苦手だが、この本には花京院典明という人物を知るために重要な示唆が含まれている気がする。そうだ、私は花京院くんのことが知りたいのだった。そして同じだけ、私のことも知ってもらいたかった。
「花京院くん、その本どうだった?」
本を読み終えた花京院くんに問いかけるも、反応はかえってこない。私はひとりごとのように話を続けた。
「私はね、キツネが王子さまに語りかけるシーンが好きなの」
「……大切なことは目に見えない、か?」
「そう!」
好きな台詞をどんぴしゃに当ててもらえて、うれしさのあまり、ひとさし指で花京院くんをさしてしまった。それでも彼はこちらを見ようともしない。なにか、深く考えこむような、難しい表情で目を伏せている。そうして彼は貸し出しの手続きを済ませ、本を鞄にしまった。いつもならば、からかい半分で指摘したかもしれない。でも今はやめておく。孤独な彼が星の王子さまになにかを見いだしたなら、それを大切にしてほしかった。
「いっしょに寄り道しない?」
「はあ?」
「ほら、喫茶店とかゲームセンターとか――」
「ゲームセンター」
「やった!」
どのゲームでもこてんぱんにやられてしまい、ジュースをおごるはめになった。こうして私の辞書にまたひとつ花京院典明に関するページが増えていく。彼はゲーマー、っと。
花京院くんは隣のクラスなので、体育や美術の合同授業では顔を合わせることがあった。
ただし、一歩図書室を出た彼といえば、まるで名前も知らない他人みたいによそよそしい。男子ってある時期から妙にそっけなくなるけど、それにしたってあんまりだ。
今日も今日とて、私は花京院くんに手をふってみる。無視されるとわかっているのに。
体育の授業、男子は体育館の隣半分を使ってバスケのミニゲームをしていた。花京院くんは壁によりかかり、アンニュイに佇んでいる。私が見えているはずなのに、やはり、手をふりかえしてはくれなかった。
「またカキョーインくん?」
「そうだよ。ほら、あそこ…………あれ?」
「あんたがウザ絡みするせいで逃げたんじゃない?」
「そんなぁ」
私の友達は、私が〝図書委員の花京院くんにつきまとっている〟と勘違いしているのだ。花京院くんが一度でも手をふりかえしてくれたら、私たちは友達同士だとわかってもらえるだろうか。私は恨めしげに、ジャージの群れのなかから花京院くんの姿を探した。
「ねぇ、バレーしない? 次のミニゲームまで時間あるし」
「いいけど、ここで?」
今私たちがいるのはステージの上だ。ちょっと危ないし、なんとなく目立つから恥ずかしい。そんなふうに気後れしている間にも、友人たちは輪になってトスとレシーブを繰りだし始めた。当然のように私もその頭数に入っているらしく、普通にボールが飛んでくる。いち、にー、さん、しー。落とした人があとでパン買ってくること。
(あ、花京院くん発見)
私はステージの端で、首を限界までねじって体育館の反対側を見つめた。花京院くんはボールに集まる男子たちを尻目に窓の外を眺めている。運動は得意ではないのだろうか。
「ごめん、飛ばしすぎちゃった!」
花京院くんに気を取られ、ボールは今まさに私の頭上を越えていくところだった。
「大丈夫――」
後ろに下がる。下がる。下が――三歩目で左足の踵が沈みこんだ。穴に落ちたみたいに。
「キャーッ!」
ステージはそこまですごい高さがあるわけではないけれど、このまま落ちたら受け身が取れずに後頭部を打ちつけてしまうだろう。友人が駆けよってくる様子がスローモーションになって見えた。
思わず手を伸ばすも届かない。
数時間、数日前の記憶が断片的に蘇ってくる。もしかすると、これがいわゆる走馬灯だろうか。最後に見えたのはメロンパンをかじる花京院くんの横顔だった。そう、彼は昼休みにも図書室に入り浸っているのだ。彼には友達が、いないから。あぁ、私たち、せっかく友達になれたのにね。……。
いつまでたっても衝撃はやってこなかった。バウンドするボールの向こう側に、花京院くんがいた。真っ直ぐこちらを見つめている。
「大丈夫?」
友人が泣きそうな顔で私を抱き起こし、飛んできた先生によって保健室まで運ばれてしまった。いくら私が大丈夫だと言っても、誰も聞いてくれない。
なんとなく、助けてくれたのは花京院くんではなかろうかと思う。根拠はないが、私は強くそう思った。
そのまま病院に連れていかれて、レントゲンや脳波を調べてみたものの異常はなし。異常どころか、たんこぶひとつないのだから、先生も首を傾げていた。
そんなわけで、学校に戻ってきたのは放課後になってからだった。
図書室に直行するも鍵が閉まっていた。職員室で聞くと、彼はついさきほど図書室の鍵を返却し、帰宅したとのことだった。窓に駆けより校庭を探すと、花京院くんの背中が見えた。距離があっても、私にはほかの生徒と花京院くんを見わける力がある。
「花京院くん!」
走って追いかけ、名前を呼ぶ。だいぶ距離があったのに、彼がまだ校庭を歩いていたのはどうしてだろう。
「精密検査してきちゃった」
「見てもらえてよかったじゃあないか。きっと、以前からの異常が見つかったんだろう?」
「それどういう意味?」
彼が冗談を言うなんてめずらしい。いちおう心配してくれたということか。
「おかげさまで、怪我はなかったよ」
そうして花京院くんは、わざとらしく「何の話だ」と言いたげな顔をする。
「花京院くんでしょ。私を助けてくれたの」
「助けるって。どうやって?」
「そんなの知らない。でも、花京院くんだってことはわかる」
「どうして? ぼくは遠くにいたのにさ。手もかせやしないよ」
私は言いよどむ。だけどもう引きさがれない。
「……なんていうか、きみの気配を感じた気がして」
やさしくて、けれど寂しそうな、秋の風みたいな気配を。
私を見る花京院くんのまなざしには、初めて図書室で会ったときと同じく、なにもかもを跳ねかえすような冷たさがあった。
「花京院くん」
沈黙。
「カキョーインノリアキ」
さらに沈黙。
永遠のように続いた沈黙のあと、彼は背を向け、行ってしまった。
こうなってしまっては、彼は図書室にあらわれないかもしれない。もう二度と。
廊下ですれ違ってもしらんぷりされて、いっしょにゲームセンターに行った思い出も、無為に過ごした図書室での放課後も、すべて、なかったことにされてしまうかも。
私はなにか、見おとしたのだろうか。あの本でキツネが言ったように、目には見えない、心で見るべき大切なものを。彼にとって大切なものを。
徐々に遠ざかっていく背中を見ていると、えも言われぬ感情が込みあげてきて、ついに溢れだした。それは、ほとんど悲鳴だった。そして一切飾ることのない本心だった。
「花京院くん、きみを知りたいよ」
わかりたいんだよ。声が震えていた。私はその場に座りこみ、頭を抱えてしまう。あぁ、こんなのは最悪だ。まるで駄々をこねる子どもじゃあないか。
やがて、花京院くんの静かな足音が近づいてくるのがわかった。
(いやだ、来ちゃだめ。でも行かないで。顔を見られたくないよ。だけど、そばにいてほしいよ)
あい反する身勝手な望みがせめぎあう。私は彼のなにを知りたいんだろう。なにを知らなくちゃあいけないんだろう。いっそ、そのすべてを教えてくれたら。
すすり泣く私の足元に、やさしい人影がおりてくる。木枯らしが巻きあげた砂粒が、ちくちくと肌にあたって痛かった。