あいしてる Part2

ギアッチョがバンドを組んだらしい。
らしい、というのは直接本人に聞いたわけではないからだ。

夜な夜な下手くそなギターをかき鳴らしていることは知っていた。隣人の怖そうな男の人から壁越しに怒鳴られようとギアッチョは動じない。そんなに練習してどうするのと聞いても「べつに」とか「たいしたことじゃあねえ」なんてはぐらかすので、ここ最近はわたしも知らんぷりで、耳栓をして眠っていた。


――8月31日 オープン18時/スタート19時、ワンドリンク制。


それはインディーズバンドのライブのチラシだった。どのバンドも知らない名前だ。MELLOW MELLOW MELON、Love Fishers、CRAZY ICE……。
二週間前、彼がこのチラシをノートの隙間から落とさなければ、わたしだってコソコソと浮気を疑うような真似はしなかったのに。恋人に秘密を作るならせめて機密情報の管理くらい徹底すべきだろう。詰めが甘いのだよ、ギアッチョくん。

そうして夏の終わりはやって来た。8月31日。ライブ当日だ。気の早いギアッチョは、すでにカレンダーを九月のページに変えてしまっている。


「何時に帰るの?」

「日付変わるまでには戻る。お前は寝てろ」

「え~さみし~い!」

「アァ?!」

「行く前に〝俺も寂しいぜ、ハニーカップケーキちゃん。ちゅっ〟てしてくれないとやだ」

「……オレモサミシイゼ、ハニーカップゲェギヂャン。……こ~れで満足か?! アァ?!」

近頃はもう、変なあだ名で呼びあうことにも慣れてしまったようだ。

顔を真っ赤にして悶え苦しむ姿が好きだったのだけれど、まぁいいや。

「ふふ。行ってらっしゃい、ベイビーアイスちゃん」

「ん」



習慣になっている〝行ってらっしゃいのキス〟も、これからのことを思うと胸が高鳴る。

ギアッチョがギターを背負って家を出たのを窓から確認すると、わたしは大急ぎで普段より派手なメイクをして、この日のためだけに買った似合わない服とウィッグを装着した。最後にサングラスをかければ――パーフェクトだ。
鏡に映るわたしは、古き良きロックが好きそうな、いかにも気の強いバッド・ガールという雰囲気だった。香水も変えたから、たとえ間近ですれ違っても気づかれることはないだろう。


ライブハウスは街外れの治安が悪い地域にあった。だが今日のわたしはバッド・ガールだ、財布をひったくられたぐらいで慌ててはいけない。

幸いにしてなにごともなくライブハウスに到着すると、そわそわしながら当日券を購入し、ドリンクを注文した。酔いは頭を鈍らせるのでノンアルコールの炭酸水。今のところ順調そのものだ。退屈しのぎに空想の司令官と交信を試みる。


こちらバッド・ガール、ヒト・ハチ・サン・マル、潜入に成功した。オーバー。

よしバッド・ガール、対象を確認しろ。

了解した。ギアッチョは――いた! 対象発見!


さりげなく周囲を窺うと、彼の姿はすぐに見つかった。わたしの知らない人たちと、なにやら楽しげに(と言っても眉間にシワを寄せている。しかしあれがギアッチョのご機嫌な表情のひとつなのだ)会話を弾ませていた。

彼の交友関係の希薄さを案じたこともあったが、それなりに親しい付き合いの友人がいたらしい。
ほっとする一方で、わたしの知らぬ間にギアッチョの人脈が広がっていたことに、わずかながら寂しさを感じていた。この寂しさは身勝手な感情だ。でもせめて、報告くらいはしてくれてもいいのにと思う。わたしなんて、昼に食べたメニューからその日の出来事を逐一報告しているのだから。

唇を尖らせて飲む炭酸水は不味かった。ぴりぴりと喉をいじめて消えていく。



ライブは予定よりすこし遅れて始まった。最初に出てきたバンドにギアッチョの姿はなく、半裸の男たちが独自のスタイルのパフォーマンスを披露している。片目を隠したマスクの男が際立って過激だった。二番目のバンドにもギアッチョはいない。もしかして出演者ではなかったのだろうか――でも、家を出るときはギターを持って行ったしなぁ。


そんなふうに首を傾げていると、客の群れのなかにギアッチョを見つけた。
くるくるの髪、出っ張った首のうしろの骨。彼は特徴的な髪型なので後頭部だけで見つけられる。

視線を察したのか、ギアッチョは振りかえり、こちらを見た。そして、正面から真っ直ぐにわたしを目指して近づいてくる。


――まずい。対象が接近中! 対象が接近中! 至急その場を離れろ!


トイレに行くふりをして一旦外に出るも、ギアッチョは広い歩幅でずんずんと距離を縮めてしまう。ついにバレたか。


「わっ、……きゃあッ!」


焦りのあまり階段を踏み外してしまった。やっぱりヒールなんて履くものじゃあない。


「オイッ! 大丈夫か?!」


きつく閉じた目をおそるおそる開ければ、ギアッチョが心配そうにこちらを見つめていた。
床とキッスしてしまう寸前だったわたしの体は、彼に支えられ、どうにか事なきを得たようだった。――やだ、ギアッチョってば、かっこいい。それどころではないとわかっているのに胸のときめきを抑えきれない。
わたしはギアッチョの腕のなかで言い訳を探していたが、


「アンタ、ここ来るの初めてか?」


と、彼が真顔で聞くので「ナンシー・スパンゲンのコスプレしたの」というセリフはしまっておくことにした。


「……」


この距離でもバッド・ガールの正体を見抜けないなんて。
わたしは頷く。声でばれてしまわないように。ずれかかったサングラスを整え、体勢を立てなおす。


「入ってきたときから、なんか知んねーが目にとまってよォ……。俺ら、どっかで会ってねえかな」

「……」

「……いや、悪かったな。俺の勘違いだ」

「……」


――この野郎! わたしが男と目を合わせるだけで浮気だなんだとウルセーってのに、てめぇはよそで女ナンパしてんのかァ!? 帰ったらブッ殺してやる! いーや! それ以前に、家に入れてやるもんか! これにて同棲は解消だ! 出て行きやがれッ! 二度とそのツラ見せんじゃあねーぞ! クルクル頭のイカレ野郎がッ!


そのようにして心中は罵詈雑言の嵐だったが、なんとか堪え、ライブハウスに戻った。

ギアッチョは人あたりのいいタイプではないから、そう簡単にはほかの女と親しくなるはずがないと高を括っていたわたしが馬鹿だった。もしあのとき〝バッド・ガール〟が連絡先を聞いたなら、ギアッチョは快く教えてしまいそうな雰囲気があった。それどころか、そのまま夜の街に消えかねないムードが。はたして男という生き物は、どいつもこいつも油断ならない愚か者なのだろうか。


すっかり気落ちしてしまった。いっそもう帰ってしまおうかとも思ったが、せっかくここまで来たのだし、せめて一曲くらいはギアッチョの下手くそなギターの腕前を見てやろうじゃあないか。リズムを外しまくる醜態を見て、指をさして笑ってやればいい。


ようやく登場したギアッチョは、ライトを浴びて眩しそうに目を細め、いつにもまして男前に見えた。今はそれもまた腹立たしい。

曲が始まった瞬間、思わずわたしは「あ」と声をあげてしまった。ギアッチョが、あのギアッチョが、歌っている! まさかのギターボーカルだ!
彼がこんなに上手に歌えるなんて知らなかった。毎晩練習していただけあってギターも悪くない。すこし掠れた彼の声が染みわたっていく。


それは、毎夜聞いたあのメロディだった。



出会った日のこと 覚えているかい

あの日おれは素っ気なかったな 舌打ちまでして

砂浜に書いたふたりの名前 並ぶハートマーク

たとえ波に消されても 残り続けるin my heart

季節めぐるたび 思い出がよみがえる

ナターレ嫌いのおれに 聖なるきらめき教えてくれたきみ

Ah 愛のメッセージカードが降る夜は

Frozen my heart とけて溺れて 流れるmeteor

おれだけ見てろよ honey cupcake, baby

きみがいないと いつまでも WowWow……




――あぁ、なんてことだ。


これは、この曲は、わたしの曲だ! わたしの曲だ! わたしの曲だ!

この曲は、わたしへの愛の歌だ!



ギアッチョとの思い出の数々が、走馬灯のように押しよせてきて溺れてしまいそうだった。

初めてキスをした十二月、とても寒い夜だった。ナターレが嫌いだと渋るギアッチョを街に連れだした十二月二十四日。ハッピーニューイヤー、新しい年が来ると同時にわたしたちは恋人になった。照れくさそうに指輪をくれたバレンタインデー。夜の海、浜辺に描いたふたりぶんのハートマーク。愛が綴られたメッセージカードが宙を舞った秋の日。
いっしょに暮らさないかと提案する、意を決した彼の表情も、すべて、昨日のことのように覚えている。あぁ、覚えている!


いてもたってもいられず、曲が終わる前にライブハウスを飛びだしてしまった。走りながらあの曲を口ずさむ。一度聞いただけの曲なのに、歌詞はすらすらと出てきた。
まるで、最初から心のなかに眠っていた言葉みたいに。

出会った日のこと、覚えているかい? WowWow……。



興奮冷めやらぬまま帰宅したわたしは、着替えもせずにしばらく放心していた。ソファに横たわり、時間も忘れて夢見心地に。血液が煮えたように全身がほてっている。
だから、ギアッチョが鍵を開けて家に入ってきても、いつもどおり、


「おかえり」


と声をかけてしまったのだった。
まだライブハウスに行った格好のままなのに! 家のソファでバッド・ガールが寝ていたら、驚いたギアッチョはとっさにわたしをぶん殴ってしまうかもしれない。


「あ、あの、ギアッチョぉ――」

「んだよ、先に寝てろって言ったろう……がッ!? んだテメェ!? オイッ! どういうことだッ!?」

「落ち着いて、わたしだから」



取り乱すギアッチョを両手で制しながら、ウィッグを取る。


「ハァアア?!」



観念して洗いざらい打ち明けた。ライブのチラシを見つけたこと。変装してライブハウスに行ったこと。ギアッチョに口説かれたこと(ギアッチョ「口説いてねぇ!」)。曲を聞いて感動したこと。
説明するあいだ、ギアッチョはこめかみに青筋を立てながらも静かに聞いていた。この人が静かなのはよくない兆候だ。まさに今、イライラ・ギアッチョ・マウンテンが噴火しようとしている。


「というわけなのよ」

「というわけなのよ……じゃあねーだろうがッ! クソクソクソクソクソアマがァ~!」

「ギアッチョってさあ、けっこう重いよね」

「アァ?!」

「愛が……だってあれ、わたしの曲でしょ? なんて曲名? Frozen my heart~?」

「ッ――――――るせ~ッ!!」


天を仰ぎ、両手をわきわき開閉させ、全身で憤りを表現する様は、なんというか芸術作品のようである。ニューヨークのアバンギャルドな美術館に置かれていそうだ。


「勝手に探り入れたのは悪かったと思ってるよ。ねぇ、でも女に声をかけたのも事実だよねぇ? 〝なんか知んねーが目にとまってよォ~〟……んなぁんて言っちゃってさァ! いっつもそんなふうに口説いてるわけぇ~?!」

「ッちっっっげ~よ! 口説いたんじゃあねえ! マジに知り合いかと思ったんだよ! つーか相手はテメーなんだから会ったことあんのも事実だろうが! クソがァ!」

「ギアッチョってああいう女が趣味だったの? わたしとファッションセンス合わないかも~はぁ無理」

「趣味じゃねぇっつーのよォボケが! クソクソッ! 俺はオメーを愛してるつってんだろーがッ!」


ギアッチョが壁を殴る。隣人が「るせーぞ!」と怒鳴る。わたしが笑う。もうめちゃくちゃだ。
短気な性格は生まれながらの性質なので、これから先も変わらないだろうが、恥ずかしげもなく「愛してる」なんて言えるようになっただけ、ギアッチョも昔に比べるとずいぶん成長したものだ。

ここは彼の成長とラブソングに免じて、バッド・ガールをナンパした件については目を瞑ってもいいかもしれない。

なんといっても彼の曲からはわたしへの真剣な思いが伝わってきたことだし。そりゃあもう、胸がつぶれてしまいそうなほどに。
「Ah~愛のメッセージカードが降る夜は~」なんて歌ったら、ギアッチョ、怒るかな。あぁでも今夜は怒らせたい気分だ。


わたしはお腹のうえでエアギターをかき鳴らし、心をこめて熱唱する。ギアッチョへのアンサーソングだ。合いの手は怒りの雄叫び。



出会った日のこと ええもちろん覚えているわ

あの日あなたは素っ気なかったね 照れてたの知ってるよ

光る砂浜 波が歌うわ Starry sky

ふたりの愛は消えない 波になんて流されない 

そうでしょ でしょでしょ

Ah 愛のメッセージカードが降る夜は

わたし 泣いてしまいそうだわ 思い出すと 今も

とけて溺れて 恋のプールにdive into

わたしだけ見ててね ベイビーアイスちゃん、好きよdarling

あなたがいないと いつまでも 

WowWo……



「るっせぇ~! いい加減にしろってんだチクショ~ッ!」



センキューセンキュー。お前らみんな、愛してるよ。
作詞作曲、バッド・ガールでした。