この席になったのは先週の席替えからだった。
窓際の一番うしろ。
よくアニメで学校生活に退屈した主人公が教室を俯瞰して見ている、あの席だ。
私の斜め前には臼井雄太が座っている。
臼井雄太。彼とはほとんど関わりがないし、三年間同じクラスなのに言葉をかわしたのも数えるほどだが、私は彼のことをよく知っていた。ただのクラスメイトにしては知りすぎているくらいに。
たとえば、メロンパンが好物だとか、眠いときに頬杖をつくとか、風の強い日はすこしだけ機嫌が悪いとか。わざわざ調べなくたって、この教室にいるかぎりどこかで誰かが噂しているのだ。
今も頬杖をついているのできっと眠いのだろう。体育のあとの古典の授業では無理もない。私だって、臼井雄太が斜め前にいなければとっくに眠っていたはずだ。
――あ。
臼井雄太の顔がすこし動いて、横顔が見えた。どうやら窓の外を眺めているらしい。彼の席からは青空の三分の一も見えないはずだけれど、臼井雄太の瞳にはなにが映っているんだろう。どこかアンニュイな感じがする横顔に、私はしばし見いっていた。
それは、ほんの出来心だった。
ノートにシャーペンを滑らせる。さり気なく彼を見ては、黒板の文字を書きうつしているふりをして。徐々に浮かびあがっていく臼井雄太の形に、私の胸は高鳴った。
我ながらとてもよく描けていると思う。もともと絵を描くのは得意だし、ここ最近の授業中といえば臼井雄太の観察時間になり果てているので、各パーツがどのような形でどこに配置されているのか見なくてもわかった。
絵になった臼井雄太を眺めながら、私は思いを馳せていた。
彼はサッカー部だが、ほかの部員のように騒がしくないし、落ちついていてやさしい雰囲気がある。穏やかな草食動物みたいだ。素敵な人だと思う。誰にも打ち明けたことはないけれど、私はたぶん、臼井雄太が好きなのだ。ノートに顔を描いてしまうほどに。
友人いわく、臼井雄太には恋人がいないのだという。今はサッカーに集中したい。ありきたりだが説得力のある断り文句だ。部を引退すれば、たくさんの女の子たちが群がっていくのだろう。そんなふうに後先考えず思いを伝えられる女の子たちが、私はうらやましくもあり、理解できなかった。
だって、臼井雄太はミケランジェロの彫刻みたいに、美術館に置いて大勢の人が鑑賞すべき人間だから。誰も手をふれてはいけない。正面に立ち、ふむふむと眺める。ときどき写真を撮ったり、ほぅと感嘆の声をあげたりする。そのようにして、いつまでも手の届かない存在でいてほしいと願うのは、私のエゴだろうか。
ふと顔をあげると、臼井雄太は正面を向いてしまっていた。もう背中しか見えない。
私はノートを閉じて机に突っ伏する。
そうして、ほかのクラスメイトたちと同じように目を閉じる。睡魔はすぐに私をさらいに来た。
――
――――
――――――
「ん……」
「おはよう」
「………………うわっ!」
いったいなにがどうなっているんだろう。
目覚めると古典の授業は終わっていて、休み時間に入っていた。いや、そんなこと、どうだっていい。
私の前の席には臼井雄太が、あの臼井雄太が、後ろ向きで座っている。私を見つめている。いやらしくほほ笑んでいる。そこは伊藤くんの席だが――教室を見まわすと伊藤くんは臼井雄太の席で気まずそうにこちらを窺っていた。どかされたんだろうか。でも、どうして。
まだ夢を見ているのかもしれない。そう思ってシャーペンを手の甲に刺してみる。――痛い! 信じがたいがこれは現実だ。
「臼井くん……どうかした?」
手をさすりながら、私はおそるおそる問いかける。
「お前、ノートになにか描いてるだろう」
「そ、そりゃノートくらいとるよ……」
「ふぅん」
まずいまずいまずい。気づかれていたんだろうか。いや、まだ絵を見られたわけではないんだ、しらを切ったらいい。
そうして必死に表情をとりつくろうも、臼井雄太は意味深なほほ笑みを浮かべ、まるで私をからかって遊んでいるみたいだった。
私の知っている、知っているつもりだった臼井雄太の姿とはずいぶん違う。間近で見るとやけにたくましいし、やさしい声音だが物言いは男くさくて、高圧的な雰囲気さえ感じる。彼は草食動物なんかじゃない。それどころか、鋭い牙を隠した肉食獣だ。
「臼井くん、ノートとってなかったの? コピーして渡そうか?」
「そういう話をしに来たんじゃないんだ。ただ、すこし気になることがあってさ」
「そ、そうなんだ…………」
「授業中、ずっと俺の顔見てただろ?」
あぁ、どうしよう。
一瞬にして茹であがった私の顔を見て、臼井雄太は確信したようだった。
「見せてよ」
彼が前のめりになると、椅子がぎぃと鈍い音をたてる。
やさしくも有無を言わさぬ動きだった。思いもよらぬ力強さでノートが奪われていく。もう、逃げ場はない。
(2020.01/28)
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