目の覚めるような美人だとか、瞳が綺麗だとか、胸が大きいとか、賢いとか、気が利くとか、とにかくわたしにはとりわけ抜きん出た特徴も長所もなければ、かと言って目立った短所もない、言ってしまえばごくごく普通の人間だ。

 けれど、彼の黒目がちな瞳に、その平凡な女の姿が映しだされると、たちまちわたしは特別な人間になれた。まるで腕の良い映画監督が撮影した白黒映画の女優のように、意識せずとも背筋がぴんと伸び、心の海原が凪だように穏やかな余裕で満ち、頬は桜色に萌える。

 わたしは特別をくれる彼が好きで好きでたまらない。
 彼の頼みならなんでもしたいと思えたし、頼まれなくとも常に「なにかできることはないか」と探っていた。
 しかし、凡人の女にできることは限られていて、適切な表現を用いるならば、ほぼないという言い方が正しい。

 最近ではその数少ない「できること」すらも、本当に彼が望むことなのか、あるいはわたしが望んでいるのか、自分でもよくわからない。その境界はラテアートで描かれたハートのように、時間が経つほど曖昧になっていく。


『今日、家に誰もいないの』


 我ながら陳腐で使い古された誘い文句だと思った。

 しかし、両親が二泊三日の箱根温泉に出掛けたのは事実で、その間サッカー部はオフ、マネージャーのわたしも平くんにも特にこれといった予定もなかったようなので――いや、言い訳はよそう。わたしは特別になりたかった。


「口を開けなよ」

 冷たさのなかに妖しい熱を秘めた声だった。


 部屋に入って早々、荒々しいキスにより酸欠になりかけて、気がついたら制服はほとんど脱がされていた。
 平くんは仁王立ちのまま自らベルトを外し、ずり落ちない程度に前をくつろげると、それをわたしの鼻の先へ押し付けた。名のある彫刻家が魂を削り完成させた名作のような造形は、何度見ても思わずうっとり見惚れてしまう。

 行儀の良い犬のようにぺたりと床に座り込んで、だらしなく口を開けながら褒美を待った。反射的に喉が潤い、下着までもが濡れてゆくのを、まるで他人事のように感じ取る。


「もっと」


 ビックサイズのハンバーガーに齧りつく状態で構えていたが、彼のお気に召すほどではなかったらしい。
 人差し指で下唇を引っかけて無理やりこじ開けられ、たぶん歯の根元まで丸見えになっているんだろう。有無を言わさぬ平くんの所作からは歯医者が医療器具をとりつけるみたいな、疑う余地のない、作業じみた貫禄を感じた。平くんが担当医ならそれはそれは手さばきのいい治療をするに違いない。


「ぐっ……ん、ッ」

 最初から問答無用で押し入られて、胃のなかで何匹もの金魚が飛び跳ねている心地だった。呼吸を整えるこの時ばかりは平くんもわたしの様子を伺ってくれる。
 ようやく嘔吐きが治まったら、まずは全体的に舌を這わせ唾液をまぶす。360度に舌でなぞってから、喉の奥まで迎え入れる。珍しい野鳥の卵を磨くつもりで、うやうやしく包み込む。

 平くんは、と言っても他の男性がどんな形かは知らないけれど、とにかく平くんの先端部は、咥えたまま上下にしごくと頭がガクンとずれるくらい段差があって、そのエラの下に舌先を這わせると、時折「うっ」と甘美な呻き声をあげるので、わたしはもう堪らない悦に震えるのだった。


「きもひぃ?」

 こう聞けば、芸に成功した犬を褒めるように、よしよしと頭を撫でてくれると知っていた。


「そうだね」

 案にたがわず、髪を掻き分けるように撫でられた。その無骨な手つきに反して「よしよし」という声は柔らかで優しい。もしわたしに尻尾かなにかが生えていたなら、今頃床の上をびたんびたんと叩く音が部屋中に響いていたはずだ。


 咥えたまま舌で裏側をなぞりあげる。縦に背骨のような出っ張りがあり、そこを伝って上下にすべらせ、境目の筋を舌先で味わうよう辿る。できる限り口をすぼめ、頬の粘膜でこすりあげて。
 同時に、両手でしごいたり、やさしく玉を揉むのも忘れてはいけない。わたしは彼が喜ぶやり方について、特に口頭で御教示賜ったわけでも他の女の子からのアドバイスを受けたわけでもなく、身体を重ねるごとに学んでいったのだ。

 唐突に、荒っぽく髪を掴まれ、喉奥に先がふれるほど深く深く突き立てられた。これが平くんのなかにある、本格的な欲望のスイッチが入った証だと、わたしは勝手にそう解釈している。

 それから先わたしにできることはあまりない。ただただ、彼の思うがままに口内が隅々まで犯されてゆくのみだ。
 時折角度をつけて挿入されるので、飴を頬張るかのごとく片頬だけが盛り上がった。許されるならば棒付きキャンディみたいに一日中でもしゃぶっていたいと真剣に思う。勿論苦しくて、何度も吐いてしまいそうにはなるけれど。


「ゴホっ、がはっ……ッ、ご、ごめん、ね」

 とうとう耐え切れずにむせてしまった。口のなかで溜まっていた唾液やら胃液やら、様々な液体が混ざり合ったものが、床にボタボタと垂れてささやかな水たまりを産み出す。
 もったいないな。とっさにそんな思いが頭をよぎる。この粘り気のある液体のなかには、きっと彼が出した体液も含まれていただろうに。


「ん? 嫌か?」

 彼が首を傾げるとき、髪が重力に伴って流れ落ちる様子が好きだ。呑気にそんなことを思う。


「嫌じゃないけどーー」

 苦しいよ。そう続くはずだった言葉は、再びペニスが入ってきたせいで実際に声に出して伝えることはかなわなかった。

 今度はより深く素早く、喉の奥のもうこれ以上はないという最深までぐりぐりと押し込まれ、後頭部に添えられていた手が乱暴に襟足の髪を鷲掴んだ。併せて、セックスをするときの要領で腰も動かされ、あまりの苦しさに顔が左右にぶれる。くるしい。きもちい。快楽はいつだって苦痛を連れてやってくる。

 口の隙間からガボガボとかジュボジュボとか、排水口に水が吸い込まれてゆくような音の合間に、わたしのだらしない呻き声が合いの手のように差し込まれ、妙な民族音楽でも作り上げているかのような心地がした。

 顔と彼のお腹の距離はほぼゼロで、挿入の度、さらさらの陰毛が鼻先をくすぐる。彼は髪の毛のみならず体毛までもが上等なトリートメントで手入れされたように綺麗なストレートなのだ。



「……んッ、んッ、グっ、……んぶっ」

 今のわたしの顔は、涙と鼻水と口の端から溢れる唾液でぐちゃぐちゃに違いない。発汗もひどく、前髪が額に張り付いている感じがする。

 そんな痴態を彼の前で晒していると思うと、ただそれだけで堪らない気分になる。恥ずかしいはずなのに、自分の汚らしいところをもっと見て、緑の粘液を吐き散らすおぞましい怪物に出くわしたときのような眼差しで蔑んで欲しいと望むわたしは、すでに平くんの手で頭のどこか大事なネジが外されてしまっているのかもしれない。


「出すからな」


 挿入はさらに勢いを増し、息をするのもままならず、涙が溢れてとまらなかった。
 反動で歯を立ててしまいそうになるのをぐっと堪える。一度でも噛んでしまったら、彼はもうわたしとはセックスしてくれないかもしれない。この関係が終わるのは昼食のサンドイッチをもどしてしまうよりもずっと恐ろしいことだった。


「んっ、……う、っん」

 小刻みな痙攣の後、びゅくびゅくと力強く熱い精液が打ち放たれた。毎度のことながら苦味と酸味と塩味が交差する虹色の味に脳が混乱してしまう。
 飲み込まないように、舌を丸めて窪みを作った。数秒前まで彼の体内にあった液体の生暖かさが、粘膜を通してわたしのもとに移ってゆくのを、全神経を集中させて感じていたかった。


「口、開けてみて」

「ん、っ」


 精液が入ったまま、口を開けた。たとえ意図の読めない命令だろうと、彼の声が耳に入れば考えるより先に身体が従ってしまう。

 わたしの口内を覗き込む平くんは、虫籠のなかでゼリーをつつくカブトムシを観察する子供のような、とても燦々とした瞳をしていた。
 見せつけるように精液を舌の上に乗せて出してみたり、たっぷりと口内で弄んでから、唾液と一緒に丁寧に飲み込んだ。精液が喉に絡みつき、粘膜が焼けるようにひりひりして、顎は外れそうに痛い。彼に口淫したあとのわたしはいつも満身創痍だ。


「男の精液を飲み込むって、どんな気分だい?」


 そんなことを聞くなんて。まったくもって彼らしくないし、またしてもわたしは質問の意図が読めなかった。っていうか精液って男の人しか出さないじゃん、などという揚げ足取りを言いかけて、やめた。彼は冗談でも小馬鹿にされることを嫌うから。


「あのね。特別って感じなの」


 いまも、刻一刻と胃の底に溜まった彼の精液は消化され、わたしの血肉の一部となっているのだろうか。両手じゃ収まりきらない幸福の花束をかかえるように、震える膝を抱きしめた。


(2016.01/31)


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