「スワぁ? ないない。あいつは死ぬまで友達だから」
本心だった。
なのに彼女らときたら、子供じみた薄ら笑いを浮かべるばかりで否定も肯定もしてくれない。
だいたい、諏訪って私のタイプじゃないし。そう言って笑い飛ばすと、ようやく追撃らしき質問がくる。
「あんたのタイプって、たとえば?」
「二宮さん」
大真面目に答えたのになぜか大笑いされてしまった。
「あんたと二宮さんは似合わなすぎだって。生姜焼き定食に赤ワインって感じ」
「はぁ? なにそれ」
「それか、フレンチのコースに飲み物がカルピス」
「あはは」
みんな好き勝手言ってくれる。
ランチタイムを過ぎた昼下がりに、大学の食堂でこんなふうに馬鹿騒ぎしているのは私たちくらいだ。これじゃまるで入学したてでテンションの上がっている一年生みたいじゃないか。まったく、はずかしいなぁ。
「諏訪のことも嫌いじゃないよ。むしろ好きなくらい」
私は続けて、いかに諏訪が最高の友人であるかを説いた。
趣味が合うし、本当にいいやつだと思う。麻雀仲間兼飲み仲間で、ボーダーという閉じた組織においても通じ合える貴重な男友達だ。飾らずにいられる気安さがいい。それから推理小説のオチを言っても本気では怒らないところも、終電を逃したら電話一本で迎えに来てくれるところも。あいつ、実はけっこう気が利くんだよね、あと――。
熱弁するほどに、友人の目は疑いから確信じみた眼差しに変わっていくので、私はあきらめて読書の続きに戻った。
ああ見えて諏訪も読書家だ。推理小説ばかり好む諏訪と違い、私はさまざまな種類の本を読む。ホラー、ファンタジー、歴史、それに恋愛小説も。
「なに読んでんだ」
噂をすればなんとやらで、いつの間にか背後に立っていた諏訪が、気だるげに声をかけてきた。顔を見なくても声だけで諏訪とわかる。その瞬間、みんな顔を見あわせてそそくさと荷物をまとめると一斉に立ちあがり諏訪に席を譲ってしまった。そんな彼女らの妙な動きを不審には思わなかったようで、諏訪はいつものように私の真隣の椅子にどかっと座った。諏訪の言動はたいてい無遠慮だけど、どうしてか嫌な気はしない。
広いテーブルに私と諏訪だけが取り残され、辺りは途端に静かになった。
「純文学じゃねーか」
私が持っていた本の表紙を覗きこんで、諏訪は顔をしかめる。
「人が死ななくたって面白い小説はあるんだよ」
「人が死ぬばかりが推理小説じゃねーよ」
まぁ、たしかにそうだね。素直に頷くと、隣でわずかに笑った気配がした。
「それ、どんなだ?」
諏訪が顎で本を指して訊くので、私は少し迷ってから答えた。
「漁村のロミジュリ。ただしハッピーエンド」
「なんだそりゃ」
ハッピーエンドのロミジュリはロミジュリじゃねぇだろ。諏訪は口を尖らせる。
諏訪と本の話をするのは楽しい。いつも率直な感想を言ってくれるので私も本音で話せるし、ほかの男たちのように、ネットで聞きかじった考察まがいの知識をひけらかすこともしないから。
「今ね、諏訪の話、してたんだよ」
「なんだ。悪口か」
「まぁそんなとこ」
「オイ」
「うそうそ、逆だから。諏訪はいい物件だって、みんなにおすすめしてたの。早めに契約しないととられちゃうよ〜って」
「…………」
諏訪はらしくなく黙りこむと、目を細め、なにか思案しているようだった。そんなに難しい話題を振ったつもりはないけれど、なにを考えているんだろう。
すべてをわかっているつもりだった男友達が、急に得体のしれない、見知らぬ男のように思われてなんだか急に怖くなった。
「……そろそろ行かないと、次の講義始まっちゃう」
「アー……、そうだな」
「じゃあね」
二の腕に挨拶がわりの軽いパンチをおみまいすると、諏訪は大げさに「いてっ」と声をあげて身じろいだ。その反応に、私は密かに胸をなでおろす。
食堂を出る直前に後ろを振り返ると、静まり返った食堂のテーブルでぽつんと佇む背中が見えた。
午後の講義には集中できなかった。
近頃続いていた悪天候の空模様と同じように頭のなかに立ちこめる雨雲が思考の邪魔をする。意識にかかった靄はどういうわけか諏訪の姿かたちをしていて、目を閉じてもそのシルエットが瞼の裏に浮かんだ。
先程の、食堂での出来事のせいに違いない。いつになく神妙な様子で黙りこむ諏訪の横顔が脳裏をよぎる。あの沈黙の意味を考えて――いや、きっと意味なんてないんだろう。私が妙に意識していただけで、きっと諏訪は最近読んでいる推理小説の犯人のことでも考えていたんだ。
こんなくだらない理由がきっかけで、諏訪との関係がぎくしゃくするのも癪だし今日のことはさっさと忘れてしまおう。できれば諏訪とはこれからも、良き友人良き同僚でありたいし、そう思っているのは諏訪のほうも同じはずだ。
気晴らしのつもりで窓の外に目をやるも、雲行きの怪しい空からは、案の定雨が降り始め、一瞬にして本格的な土砂降りに変わった。雨粒が南国のスコールみたいな激しさでコンクリートを打ちつけている。こんな日に限って持ってきたのは折りたたみ傘が入らない小さなバッグだ。
しばらく雨宿りをしてから帰ろうか、いっそ雨の中を駆けぬけようか。迷いながら講義室を出ると、出口横のソファに諏訪が座っていた。目が合うと諏訪は軽く手をあげて私を呼んだ。まるで、始めからそこで待ちぶせていたみたいに。
「あっれぇ諏訪じゃん。なんか今日はよく会うね」
首をかしげる私に、諏訪はドヤ顔で、
「よぉ。傘あるぜ」と言った。
そうですか。そういうことなら、一緒に帰りましょうか。
やっぱり今日の諏訪は普段と様子が違っていて、私もまたどこかおかしかった。私たち二人ともこれが推理小説なら真っ先に犯人だと疑われるくらい挙動不審だ。
「諏訪って傘とか持ち歩くタイプだっけ」
「おめーと違って俺ぁしっかりしてんだよ」
そんなふうにかっこつけていたけれど、玄関に置いていたという諏訪のビニール傘は盗まれていたし、そのうえ雨に加えて強風まで吹き荒れる有様で、もはや傘一本あったところでどうにかなる雰囲気ではなかった。
「あっははは」
雨が打ちつける窓に寄りかかり、すっかり意気消沈している諏訪を見おろして、私は大笑いしてやった。なんだか無性におかしくて、涙目になるほど笑った。
「笑ってる場合じゃねーだろ。アホか」
「うーん……。とりあえず、うち来る?」
「おめーんちに行ってどうすんだよ」
この様子じゃ、待ってたって朝までやみそうにねーだろ。諏訪は吐き捨てるみたいにそう言った。たしかにさっき見たネットの天気予報には、明日の朝まで嵐は停滞すると書いてあったっけ。
「……じゃあ泊まっていきなよ」
「はァ?」
わざとらしいくらい露骨に「なにが問題?」って顔をしてみせる。諏訪はなにも言わなかったけれど、その目は正気ではないと訴えかけていた。
みんな一緒に雑魚寝とか、麻雀の後に朝まで飲むとか、そういうことならしょっちゅうだけど、二人きり、それも泊まりなんてこれまで一度もなかった。一度もなかったからこそ、ちょうどいい機会だと思った。私たちの友情を証明するための絶好のチャンス。それが今だ。
諏訪は一瞬だけ目を合わせると、なにかを決心したみたいに真剣みを帯びた表情で立ちあがった。諏訪がなにも言わないので、私も無言で後ろをついていく。
「行くぞ」
外に出る直前、諏訪は着ていたジャケットを脱ぎ、それを自らの頭に被ると、半分のスペースを開けてくれた。ここに入れということらしい。それじゃ遠慮なく。諏訪があけてくれた空間に入りこむと、煙草と、かすかに汗の匂いがした。なんだか妙な心地だった。諏訪の腕のなかにいるみたいで、落ち着かない。
「うわ〜びしゃびしゃ」
諏訪の優しさもむなしく、ジャケットの傘はほとんど意味をなさず、家に着く頃には全身ずぶ濡れになっていた。
私たちは玄関で互いの姿を見あうと、力なく笑った。
「早くシャワー浴びないと。諏訪、先入っていいよ」
「まずおめーが入れって…………いや、オイオイオイ、まじか」
玄関で濡れた靴を脱ぎ、ついでに服も脱ぎ捨てる。そうして下着だけになった私を見て、諏訪はあきらかにぎょっとしていた。
「まじだよ。私はあんたと違って、髪洗うだけでもかなり時間かかるから。あ……そうだ、一緒に入ろっか?」
私たちに友情以外の他の感情がないとすれば、たとえ裸で向きあったところでなにも間違いは起こらないはずだ。
いつもの諏訪なら「アホか」と言って受け流すはずなのに、どういうわけか今日は無言だ。怒っているみたいだった。
いや、私には実際に諏訪がなにを感じて、なにを考えているかなんてさっぱりわからない。いつだって打てば響く受け答えをしてくれる人が、ただ黙りこんでいるこの状況にお手上げだった。
なんでもいい、なにか言ってくれたらよかった。下着のデザインがナンセンスだと揶揄してもいいし、いっそ、貧相な体だと笑ってくれたら、どれほど安心できただろう。
玄関で立ちつくす諏訪を置き去りにしてタオルを取りにバスルームに向かった。二つのタオルを手に戻ると、諏訪はちょうどTシャツを脱いだところだった。シャツ越しに顔を出した諏訪と、一瞬だけ目が合って、けれどその視線はすぐに外されどこかそのへんの宙をさまよう。私の姿が見えていないみたいにふるまうくせに、タオルを差し出せばしっかりと受け取って、それで頭をガシガシと拭いていた。
「諏訪、風邪引くよ」
「…………」
「すーわー」
「聞こえてる」
「そう」
すっかり男子中学生のようにふてくされてしまった諏訪の手首を掴み、無理やり室内へ引き入れる。リビングに入ったところで、諏訪は私の手を振りはらった。
「おめー……今日は変だぞ。なんかあったのか」
「諏訪のほうこそ。なんかあったの?」
部屋が暗くて表情が見えない。明かりをつけようか逡巡しているのを見計らったタイミングで、窓から閃光が差しこんで諏訪の横顔を照らした。
稲光に照らされた諏訪は、痛いほど真っ直ぐに私を見つめていた。鋭くも真摯な眼差しに、思わず息が詰まった。
ときどき諏訪がこんな目で、私を見ていることには気づいていた。
その視線の意味は深く考えなかったし、考えないようにしていたけれど、素知らぬふりをしていれば諏訪は私を問い詰めたりしなかったから、それでいいと思っていた。それでよかったはずなのに。
立て続けに雷鳴が轟いて空気がびりびりと震えた。ふたたび目の前が光ったけれど、もう顔を上げられなかった。足元に落ちている諏訪のライターは、ボーダーの褒賞金で買ったのだと誇らしげに話していた記念の品だ。そんな大切なものを落としたのに見向きもしない。
ついに諏訪は大きすぎる一歩でもって、それを飛び越えた。
暗闇から伸びてきた手が、二の腕にふれて、肩にふれる。押しつけられた諏訪の胸から生命そのものみたいな鼓動が聞こえてきて、私はなぜだか海を思い出した。碧々とした深い海の底。地球の息吹だけがこだまする深海で、波に揉まれ、揺れるガラスの破片。
そうして私たち二人も、どこかの浜辺に打ち寄せる頃には、違う形になっているんだろうか。
(2022/02/13)2021年12月31日 ワールドトリガー夢小説本[合同誌 Misty]に収録したお話です
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