「ネアポリスで裏カジノなんて、ここのオーナーもずいぶん命知らずだよねえ」
わたしはバーカウンターの内側でグラスを拭きながら、誰に言うでもなく問いかけた。
「命知らずにしては隠れるのが上手いがな」
と、皮肉を言ったのはホルマジオ。料理の仕込み中だ。彼の料理人としての姿もなかなか板についてきたが、それも今夜で見納めかと思うと少しさみしい。
裏カジノのオーナーを始末し、店の売上を盗みだせとの命令がくだったのは先々月の末だった。
ネアポリスにはパッショーネの息のかかったカジノがあるが、そこの常連たちも裏カジノに入り浸っているという。組織に入るはずの金がよそに流れているのだからボスは相当にお怒りだ。従業員は下っ端も含めて皆殺しにせよとのお達しだった。
裏カジノ、と聞くからには、いったいどんなだろうと期待したが、高級そうなバーにしか見えなかった。もっと秘密めかしく、店の敷居をまたぐ前に合言葉を要するシステムかと思いきや、実態はただの会員制のバーだ。
そこに、従業員として潜入したのはわたしとホルマジオだった。
ホルマジオのリトル・フィートはこの任務にうってつけであったし、わたしはというと、存在感が薄く目立ちにくいため――なんて、身も蓋もない理由だ。
当初はそれほどの時間と手間が必要かと首を傾げたが、毎夜飛び交う札束の数を見ると、手のこんだ計画を立て一ヶ月前から潜入するだけのことはあると思えた。
なにより金庫の警備は厳重だったので、準備もなしに突破できそうになかった。監視カメラ数台。金庫室に入る前の生体認証。暗証番号。などなど。情報収集はわたしとホルマジオが、その対策はチーム全員で行った。殺せばおしまいの暗殺と違い、金庫破りには綿密なプランがいる。
個人主義を掲げるわたしたちが、これほど連携した任務はほかにあったろうか。暗殺チーム、最初で最後の共同作業になるかもしれない。
開店前、まだほかのスタッフの姿もなく、わたしたちは思い思いに過ごしていた。ギアッチョ、メローネ、プロシュート、ペッシの四人は予定どおりリトル・フィートで縮めて入りこんでいる。イルーゾォはおそらく鏡のなかだろう。今回の報酬はあまりに高額なので、チーム全員が志願し、公平のため全員参加することになったのだった。リゾット、ソルベ、ジェラートの三人は、隠れ家に潜むオーナーを始末している最中だ。彼らが仕遂げたのち我々も動きだす手筈になっている。
二手に分かれての任務もめずらしい。なんだか無性にワクワクしてきた。
「姉貴ィ……これからめちゃくちゃにするってぇのに、掃除するんですかい」
「いちおうね。ほかにすることないし。ほら、あんたも」
渋々といった様子でモップを受けとったペッシは、だるそうに床を磨いていた。
「んもぉ、プロシュートはそこで煙草吸わない!」
「あ?」
「灰が散るでしょ」
「……お前、すっかりこの店の従業員だな。スタンドの使いかたも忘れちまったんじゃあねぇの?」
「忘れてません」
すっとスタンドを出すも、プロシュートはもうこちらを見ていなかった。
しかし、ややあって、
「堅気の女の匂いがしやがる……」
プロシュートはわたしの首に鼻を寄せ、舌打ちをした。
「ちょっと、やめてよ」
咄嗟に後ずされば「その反応も素人っぽくてベネだ!」と、メローネにまで揶揄されてしまった。
プロシュートは勘がいい。
正直なところ、バーテンダーの技術はあがれども、暗殺の腕のほうは鈍っている予感があった。もともと遠隔操作型のスタンドを使った情報収集と暗殺を得意としていたので、一ヶ月も堅気のふりをさせられては無理もないだろう。
ほかのスタッフとも親しくなったし(残念だが今日でお別れだ)ホルマジオとは目と目で会話できるくらいだ。
ひょっとしてわたしも足を洗えば、人並みの幸せとやらを掴めるのではないか。などと、つい考えてみたりもする。
「――おい、男が来たぜ」
鏡から顔を出したイルーゾォが言うが早いか、店の黒服がやってきて、
「誰かいるのか」と眉をひそめた。
「おはようございます」
「……なんだ、お前か」
黒服はわたしの引きつった笑顔を見て、気だるげに頭を掻くと、
「床が散らかってるぞ。片付けておけ」
さきほどまでプロシュートが吸っていた煙草の吸い殻を顎で指した。
プロシュート本人はホルマジオがスタンドで隠したらしい。
「あっぶね……」
顔を見あわせてけらけらと笑った。
小人になった彼らはどこに潜んでいるのだろう。周囲に目をやるが、影すら見あたらない。
「みんなどこにいったの?」
ホルマジオはコック帽を持ちあげ、妖精のお友達を紹介してくれた。
「やあ」
ホルマジオの頭の上で、手のひらサイズのメローネが寝ころがっている。わたしはすっかり楽しい気分になって、鼻歌交じりにモップがけにとりかかった。
金曜の夜とあって、客入りは上々だ。
じゃらじゃらとチップのぶつかる音と、歓声や落胆の声が湧きあがっている。
潜入とはいえ仕事は仕事だ。これからすべてをぶち壊すというのに、わたしは律儀に務めを果たしていた。客入りがいい日はドリンクの注文も増える。
「グラッツェ、シニョリーナ」
いやらしい笑みを浮かべた常連の男は、ドリンクを手わたす一瞬の隙を狙ってわたしの尻をさわった。よし。見せしめに殺すのはこいつにしよう。そんなふうに考えたときだった。
「てめぇ!」
どこからか声があがった。かすかだが確実に人の声だとわかる。電話中に漏れ聞こえる音声のようであった。
「そいつにさわんじゃあねぇ!」
いつの間にもぐりこんだのか、わたしの胸ポケットから顔を出したギアッチョが金切り声でわめいている。
「……ん?」
この距離だ、男にも聞こえたのだろう。きょろきょろと辺りを見まわしている。
「……失礼いたします」
危ないところだった。わたしは足早にバックヤードへ向かって、ポケットからギアッチョをつまみ出す。
「もぉ〜ギアッチョ! いつからそこにいたの?」
「っなにジジイに尻さわられて大人しくしてんだよッ! 殺れ! 殺っちまえ! それでも暗殺者の端くれかァ〜!」
「今はまだやっちゃダメでしょ。リゾットの連絡を待たなきゃ――」
――PRRRRRRRR……。
噂をすれば。リゾットからの電話だった。
「もしもし」
『潜入は済んだか』
「うん、問題ないよ。そっちは?」
『すべて終わった』
「OK、じゃあ始めますか」
『あぁ。派手にやってくれ』
「了解!」
厨房に行き、ホルマジオに目配せする。
コック帽のなかに隠れていたメローネが、出てきて早々「アンタの頭すっげー男くせえぞ」とぼやいた。
「じゃあンなとこ入んなよ」
「万が一ってときにはここがイチバン安全だろ」
砂糖入れの後ろから出てきたのはプロシュートとペッシ。
「待ちくたびれたぜ」
壁掛けの鏡にはイルーゾォが映っている。
ホルマジオがリトル・フィートを解除すると、たちまち男が四人と大量の武器があらわれた。
準備は万全。暗殺チーム、登場だ。
「行くぞ」
プロシュートが先陣を切って厨房の扉を蹴り開けた。
カジノの賑わいは佳境を迎え、店内は満席だった。武装集団が闖入するには絶好のタイミングと言えよう。
「警備! なにしてる!」
真っ先に叫んだのはマネージャーだった。
銃を向けようとした黒服の手は氷漬けになる。手のひらをかざすギアッチョの横顔は鋭い。
振り返るとほかのスタッフもみんな床に倒れこみ、すでに虫の息だった。
その様子からしてプロシュートの仕業だろう。見目麗しい青年だったのに、見る影もなく干からびている。まぁ運が悪かったのだ。
「あー邪魔だ邪魔だ。ギアッチョ、オメーのスタンドは俺の才能を殺すんだよ」
「なにが才能だァ! クソジジイは手を出すんじゃあねえ〜ッ!」
「わァ〜かってるっつーの。ガキはうるせえな」
プロシュートのスタンドも便利だが、客全員を老衰させてしまうのはまずい。この人たちにはこれからも、パッショーネの仕切るカジノへ通ってもらわないと。そうしてまた来週からは、なにごともなかったようにポーカーでもルーレットでも、好きに楽しめばいい。
「な、なんだお前ら……ッ!」
椅子から転げおち、床を後ずさる男はさきほどわたしの尻を撫でた客だ。
「お客様、これより店じまいとなります」
「はぁ?」
パン、と乾いた銃声のあと、男の額に穴が開く。撃ったのはホルマジオだ。
――あぁもう、わたしがやりたかったのに!
「みなさま! カジノ・ネアポリスでお待ちしておりますね!」
これでいい。殺人ショーとしても上出来だ。氷漬けと老衰、それからシャンデリアに釣りあげられた男もいる。常連は元どおりカジノ・ネアポリス≠ノ戻ってくるだろう。
「うわああああ!」
客が我先にと出口に殺到している。違法賭博をしていた手前、警官に泣きつくこともできないはずだ。
しかし万が一のこともあるし、さっそくだが金庫破りにとりかかろう。早めに退散するに越したことはない。
「防犯アラームとか鳴らねえよな?」
「あぁ。さっき解除した」
「ほんとかよ。……信じるぜ?」
信じるぜ、と言うわりに、ホルマジオの目はさっぱり信用していなかった。
メローネが金庫室のセキュリティを突破したのち、その後待ち受けるアナログかつ厳重な金庫の鍵を開けるのはホルマジオの役目だ。この数ヶ月、さまざまな鍵穴に入りこみ腕を磨いたという。
訓練の甲斐あって金庫はすぐに開いた。
「やるじゃあねえか、ホルマジオ」
「リトル・フィートってほ〜んと便利だよねぇ」
「だろ〜?」
「にしてもすげえ大金だな」
「テンションあがるぜ〜」
そのようにして、一同が札束の山に歓喜するときだった。
突如として鳴り響く、けたたましい電子音。
頭上で気ぜわしく光る赤い回転灯。――警告、警告。
「おいメローネどういうことだァ!? 防犯システム思いっきり作動してんぞ!」
「あー……どうやら金庫の内部にもセンサーがついてたみてえだな。ほら、扉の裏側見てみろ」
「「はぁあ〜〜?」」
「しょうがねぇだろ。開けてみないことには、内部に取りつけられたもんまではわからねえよ。いくら俺だって透視は無理だ」
「開きなおってんじゃあねえ〜!」
「やっぱメローネなんて信じるんじゃあなかった!」
「おいおい傷つくぜ?」
すぐにでもメローネを袋叩きにしたいところだが、まずは逃げなくては。
ビルの外ではすでに、車が駆けつけた気配があった。予想以上に早い到着だ。
「え! ちょっと早くない!? イタリア警察どうしちゃったの!」
「……よく見ろ、ありゃ警官じゃあねーぞ。オーナーが雇った用心棒だ」
窓の外を見て唖然とした。1、2、3……片手で数え切れる人数を超えている。
「雇われの用心棒って数じゃあねーだろ! 何人いんだよ!」
「だああ〜ッ! そもそもコソ泥みてえな仕事をさせんじゃあねーよ! 俺らヒットマンチームの本文は暗殺だろ!?」
ギアッチョが頭を掻きむしる。ごもっともだがこの期に及んでそのセリフを聞く羽目になるとは。
「今さらそれ言うなよ」
「とにかくずらかるぞ! 金持ったか!?」
「おう!」
ホルマジオは威勢よくポケットを叩いた。わずかに盛りあがったそこに、信じられないほどの大金が隠されているとは誰も思うまい。
「イルーゾォ! オイッ! イルーゾォどこいった!?」
プロシュートが叫ぶも、イルーゾォは当然のように鏡のなかで我関せずだ。意地の悪い笑みすら滲ませ、手を振っている。
「俺たちも入れろよ!」
「嫌だね」
「はあ!?」
「せいぜい走って帰ってくるんだな」
「てめーあとでぶっ殺す!」
こんなときにまで仲間割れするのが我々暗殺チームだ。助けあい? 思いやり? くそくらえだ! なにしろ「オレはオレのために、みんなはオレのために」を標語にしぶとく生き残ってきた連中なのだから。
裏口の螺旋階段を駆けおりる。ハイヒールなので足元がおぼつかない。
「あ〜待ってレジの売上!」
「はあ?」
「今日のぶんの売上、置いてきちゃったぁ〜」
「ッてめ〜!」
はした金に目がくらみ危険を冒すなんて、いかにもわたしたちって感じじゃないか。
ホルマジオ、ペッシ、プロシュートの三人は、もうだいぶ先に行ってしまっている。呼んでも振り返ることなくそのままアジトへ直行するのだろう。ふいにプロシュートの言葉が思いだされた。いいかペッシ、独り立ちしたら、てめーのケツはてめーで拭くもんだぜ、わかったかマンモーニがッ!
「さっさと戻るぞ! その靴は脱げ!」
なんだかんだ言いつつギアッチョはついてきてくれた。氷の盾で守られるのは心強い。どうしてだかメローネもいっしょだ。
「メローネも来てくれるの?」
「あぁ。あんたが死ぬ瞬間を見たいからな」
このように、度の過ぎた変態ともなると、冷やかしにも命をかけるのだ。
息を切らしてカジノ、もとい、カジノだった場所に戻るも、死体が転がるのみで無人だった。下にいた用心棒たちは、先に出た三人が始末してくれたのだろうか。そうだといいが。
「金はここにあるだけで全部か?」
「うん!」
客の置いていった鞄だけでは収まりきらず、ギアッチョが脱いだパーカーを袋代わりにして札束をつめこんだ。けっこうな大金がある。やはり戻ってきてよかった。ざっと見て……みんなが半年遊べるくらいはある!
「げえっ! 誰か来たぞ」
「ありゃマシンガンじゃあねえか」
「わ〜ッ!」
「俺の後ろに隠れてろ!」
「さすがギアッチョ、頼りになるぜ」
背中に隠れたのはメローネだった。ぴったりとギアッチョに密着している。
「てめえはひっつくんじゃあねえ〜ッ!」
「――おいおいオメーら、遊んでる場合か?」
壁掛けの鏡から顔をのぞかせたイルーゾォは、楽しそうにこちらを見おろしていた。
「もう裏口の階段は使えねえようだぜ。用心棒がすげー武器抱えて張ってやがる」
「イルーゾォ〜っ! わたしも鏡のなかに入れてよ!」
「お前ひとりなら助けてやらんこともない……が、野郎二人はきついなァ〜」
「はなっからオメーには死んでも頼まねーよッ!」
「あっはっはっ」
ギアッチョが地団駄を踏み、それを見たメローネの場違いな高笑いが響いている。
目を離した一瞬のうちにイルーゾォは消えてしまった。ふたたび唸るマシンガン。もう、めちゃくちゃだ。
「――どんぱちうるせえと思ったら、オメーらまだいやがったのか」
「プロシュートぉ!?」
窓からあらわれたのは髪を乱したプロシュートだった。
続いてホルマジオ、ペッシもいる。
「あ〜んホルマジオ〜! もう会えないかと思った!」
うれしさのあまり三人に飛びついてひとりひとり頬にキスをする。我ら暗殺チーム、助けあいも思いやりも、ちゃんとあるじゃないか!
「今日の売上取りにきたの。ほら見て、たくさんあるでしょ」
「おーおー、そりゃあ大変だったなァ」
「ギアッチョ、そいつら相手にしても埒が明かねぇよ。さっさとこの窓から出るぞ」
「窓って……ここ四階だぜ?」
「バルコニーをつたって隣の建物に移りゃあいい」
「そんなの無理無理〜高いところ苦手だもん」
「しょうがねえだろ、もうここは囲まれちまってんだ」
「え〜じゃあプロシュートがそいつらみんな老化させてきてよ」
「いいから早く行けクソガキが!」
「うわぁ!」
どうにか脱出できたが、まだ周辺にはやつらの気配があるし、パトカーも迫っていた。
「走るぞ」
前を行くギアッチョのパーカーから、幾枚かの紙幣が風に飛ばされていく。
「ギアッチョ、お金落としてるよ」
「はァ?! 拾えよ馬鹿!」
「あはは」
遠くでまた銃声が響いた。
あれほど事前に下調べをして挑んだというのにこのザマだ。破壊的で無秩序で。それでいて、たまらなく愉快だった。
やはりわたしには、堅気の女の人生よりも、イカれた男と夜道を裸足で走るのが性に合っている。きっと、骨の髄まで硝煙の匂いが染みついてしまったのだ。硝煙と紙幣、それから血。
わたしたちは夜を走る。この先も、息の続くかぎり。
(2019.07.20発行 個人誌イタリアーノ書き下ろし再録)
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