横顔の綺麗な女だと思った。鼻先から、唇に到達するまでの角度が好きだ。急すぎず、緩やかでもなく。額の丸みも女らしく美しい。その目玉の大きさゆえに、視線がどこに向いているか、わかりやすいのも気に入っている。

 初めてのデート(というとなんだかアホらしいが)では、スクリーンに映る大迫力の恐竜よりも、なまえの横顔を見つめている時間のほうが長かっただろう。俺の視線に気づいたなまえが、思わせぶりに微笑んだが、目をそらしたら負けの気がして、それからは開き直って頬杖つきながら堂々と見つめてやった。
 映画の後半は音でしか認識できなかったので、ティラノザウルスと脱走した新種との戦いにどう決着がついたのかはわからない。ただひとつ、別れ際にかわした「またね」のキスの感触だけは、一年経ったいまでも生々しく蘇らせることが出来る。
 あの頃は互いに探り探りで、暗闇の中を目隠しして綱渡りするような日々だった。……いや、暗闇の中なら目隠しする必要はないか。まぁいい。つまりそういうことだ。


「喜一ィ〜! 濡れたバスタオルをバスマットの上に置くのやめてって言ってるでしょ〜!」


 機嫌が悪いときのなまえは、カワイイくせに、やけにどすの聞いた声を出しやがる。そんなときは大抵声だけじゃなく顔も恐ろしい。北国の老舗旅館に飾られているような鬼の面に似ているのだ(と言ったら無言で横面を叩かれたが)。


「あ〜ワリーワリー」


 風呂からあがってリビングに来れば、出しっぱなしにしているミネラルウォーターのボトルや、濡れた髪をそのままにしていることにも小言を並べるに違いない。幸い猶予は充分に与えられている。なにしろなまえの風呂はすこぶる長いのだ。

 きっと今頃は風呂場で乳丸出しにして(ハンシン欲?というらしい)、顔には白い泥を塗ったくり、水素水とかいうわけのわからん水をありがたそ〜に飲みながら、妙な匂いのロウソクを灯してファッション誌を読みふけっているはずだ。そんななまえは物語に登場するわるい魔女のようで、じつは少し怖い。
 同棲をはじめた頃から、なまえは徐々に変わってしまった。カワイイよりコワイと思うことのほうが多くなった。平気でスッピンをみせるようになり、相槌のかわりに「だからァ?」と少し巻き舌にして言う。

 最近はチアシードとかいうカエルの卵を無理やり食わせようとするので、それだけはほんとうに勘弁してほしい。あの無味無臭のブツブツは気味が悪いだけではなくマズイのだ。あんなものを食ってまでダイエットするなんて馬鹿げている。運動をしろ、運動を。



「あ〜気持ちよかった。ねぇねぇ、何キロ痩せたと思う?」


 湯気を纏いリビングに戻ってきたなまえは、下着姿(しかも俺のお気に入りのピンクだ!)で、頬を赤く染めていて、すこし興奮した。それにしても、長い。たっぷり45分のバスタイム、これがサッカーの試合なら前半戦が終わってしまうではないか。


「さあな。2キロくらいか?」

「バカ。0.5キロよ」

「……」


 風呂あがりのなまえは忙しない。今日も今日とて、全身になんだかよくわからないが乾燥を防ぐクリームやら美肌の効果が期待される(ほんとか?)商品を塗りたくっている。
 踵にまで塗ったのだろう、それこそジュラシックパークの恐竜みたいにつま先立ちで歩く姿は滑稽だが可愛らしくて、つい、構いたくなった。
 足先で尻をちょいと押してやったら、なまえは面白いくらいものの見事にバランスを崩し、どしゃっと倒れこんだ。

 足元から「バカ喜一ぃ〜〜」と恨みがましい声が聞こえる。滑稽だ。滑稽で間抜けで愛おしい。


「どうしたブルー」

「ぶるう?」


 ステイ。待てだ。両手を広げ、映画で恐竜を手懐けた調教師がやっていたのと同じポーズをとってみる。俺たちが見たのは吹き替えだったので、モノマネをするときはどうしても有名な俳優の声に寄ってしまう。


「ほら、新宿の映画館で見ただろ。去年」

「ああ……恐竜の」

「そう、恐竜だ。ガオだ」

「ガオ〜?」

「ガオガオだ」

「それじゃあんた、恐竜って言うよりライオンって感じ」


 クスクス控えめに笑う姿は愛らしいが、なまえはすぐに立ち上がると、また懲りずにつま先立ちで、ひょこひょこ、と歩き出した。

 ソファに腰掛け、手際よくフェイスパックを顔に張り(怖い! たすけて!)、甘い香りのするクリームをふくらはぎに塗り始めた。指に押されるたび自在に形を変えてゆく肉の動きを見つめているうちに、無性にその表面を舌で味わいたくなった。


「なあ」

「ん〜?」

「それって、舐めても大丈夫なのか? その、成分的に」

「知らな〜い」

「思いやりねえな」

「はあ〜?」


 恋人のいる女は、無添加で、身体にやさしいクリームを塗るべきだ。そうでもなければ、「このクリームは食べられません。パートナーにもよろしくお伝え下さい。」などという注意書きをしてほしい。

 我ながら身勝手な憤りを抱えながら、なまえの頼りない脚を持ち上げてみる。「こら〜」と窘める声が聞こえたけれど知った事か。

 今し方得体の知れないクリームが塗られたばかりのそこに、鼻先をふれさせてみる。例えようもなくいい香りだ。パッケージにはミツバチを彷彿させるマークが描かれているので、蜂蜜が配合されているに違いない。

 ものは試しだ。べろり、と膝の裏を舐めてみる。ひゃっ、といい感じにエロい声が聞こえたけれど、肝心の味の方は蜂蜜には程遠く、えぐみというか苦味というか、とにかくいかにも身体に悪そうな味がするではないか。


「おい、苦いぞ」

「あはは、バカだね〜」


 あてつけに深いキスをお見舞いしてやる。なまえにもこの苦味が伝わったかどうかはわからない。なんせ、キスの直後目を開けて一番に見えるのが真っ白いパックオバケなので、表情を読むことは不可能に近い。ついでに言うと、燃えかけた欲望の松明は一瞬で消えてしまった。


「それ外せよ」

「やっ、……も〜、まだ10分経ってなかったのに〜」


 白いマスクを剥がしたなまえの顔は、たしかに美肌効果とやらがあるのではなかろうかと思わされる美しさで、正直なところ見惚れた。
 けれど、今後この女の顔が、まったく別のものに変わってしまったとしても、俺の気持ちまで変わってしまうことはないだろうと思う。なんの根拠もないけれど、自信だけはある。イグアナのように乾いた肌になろうとも、横顔の美しいラインが失われようとも、なまえなまえだ。0.5キロ痩せたと喜んでる、美容のためにとカエルの卵を啜る、健気で可愛いなまえだ。


「なぁに、ジロジロ人の顔見て」

「うるせー」

「はぁ?」


 上等な陶器を思わせるつるつるの額に、吸い寄せられるようにくちづける。蜂蜜の香りにつつまれて、働き蜂にでもなった心地だった。








(2016.05/21)

おーしばきいちはプロになったらモデルと結婚しそう、という偏見


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