ついに今夜だ。
10月31日。ハロウィンだし。白膠木くんの誕生日だし。付きあいはじめて三ヵ月の記念日だし。それに、いくら鈍感な私でも「お泊まりデート」の意味くらいわかる。すでに覚悟も準備もできていた。
一方で、白膠木くんのほうはどうにも調子が悪いようだ。
思いかえしてみると、夕食のときからなにかがおかしかった。
笑顔が引きつっていてぎこちないし、得意のおしゃべりもキレがなく、終いにはワインをスーツにこぼしてしまうほどで、とにかくなにもかもが彼らしくない。
そうした不安を抱えたままホテルまで来てしまった。
「も、えぇかな……?」
互いに服を脱いで、下着だけになったところで、彼はおずおずと手を伸ばした。
「いいよ」
返事をしたのに、白膠木くんはなかなかふれてこようとしない。
半裸の男女が正座で向かいあう姿は、はたから見れば滑稽だろう。間に将棋盤でも置かれていそうな雰囲気だ。
「ほな、いくで……っ」
ようやく手を伸ばしてきたかと思えば、私の二の腕にふれる直前で、見えない障壁に阻まれたように手を引っこめてしまった。
「ちょっ、ちょお待って……! はぁ〜っ、はぁ〜っ」
そうして白膠木くんは、何を思ったのか手をこすりながら息で指先を温めている。
「どうしたの? 具合悪い?」
「ななななんやわからんけど手が冷えとんねん……っ、かっこ悪ぅ! なんや俺! アホアホアホ! 盧笙のこと言えへんわぁ〜ほんまにッ!」
「ぬ、白膠木くん、ちょっと落ち着こうよ」
「落ち着いてられへ〜ん! なんでやなんでやこんなん予定と全然ちゃうし! もういやや〜穴ほって隠れたろっ!」
照れ隠しなのか、いかにもコミカルな様子で布団に頭を突っこんでしまった。
クゥ〜ん。どうやら犬のつもりらしい。可愛いお尻がぷりっと出ている。
それにしても"予定"ってどんなだったんだろう。白膠木くんも頭のなかで予行演習するくらいには、今夜を楽しみにしていたのか。だとしたら、私もうれしい。
「冷たくても平気だよ。ねっ、私が温めてあげる」
そっと布団を捲り、彼の手を自分の頬にあててみる。白膠木くんの手はたしかに冷えていた。それでいて手汗で湿っているのが不思議だ。もしかして緊張しているんだろうか。
「そ、そんなん反則やん。かわいさの限度越えとる……レッドカードで一発退場やでぇ。まだキックオフ前やのに10人とかだいぶ不利やん」
なんの話だろう。
「ラグビーって1チーム11人なんだ?」
「サッカーや。10人とキーパーひとり……って、そんな話しとる場合とちゃうぅ! メッシもリーチマイケルも今はどうだってえぇねん! ベンチ戻りぃ!」
しばらくの間騒いでいたが、やがて白膠木くんは大きなため息をつき、手で口元をおさえた。そうすることでなにかを鎮めるみたいに。
顔をそむけながらも、視線だけは私のほうに向いているのがおかしかった。
「……あんな、ちゃうねんで? 簓ちゃん、普段はもうちょいマシやから。……いや、いつもこんなやらしぃことしとるわけやないんよ!? せやけどな……っ」
「わかってる、わかってるから」
正直、意外だった。芸人さんって、ましてや白膠木くんみたいな売れっ子芸人であれば、女慣れしているのだろうと勝手に思っていたのに。
――あぁ、でも下半身は準備万全って感じだね。
私の視線に気づいたのか、白膠木くんはふたたび布団をかぶってしまった。もう、また振り出しだ。
「イヤァ! 見んとってぇ!」
「白膠木くんだって私の体見てるじゃん」
「見てへぇん〜! いや嘘ォ! 見てるぅ〜見たいぃいいい!」
「じゃあ見てよ」
「…………えぇの?」
「うん」
――普通、こういうやりとりって男女逆じゃないかな。でもまぁ、いいか。
私たちには私たちのやり方がある。
白膠木くんがシーツの海で溺れているのなら、私が助け舟を出せばいい。
それに、あせる必要なんてないのだ。明日世界が終わるわけでもないし。今夜はこのまま、なにもせずに、手をつないでいっしょに眠るだけで十分だ。それだけで、私は幸せだ。
「……もしかして今、今夜はしなくてもいいかな〜、とか思ったやろ?」
「え、……えへ…………」
「ち、ちょお待ってぇ。あんな、誤解せんといて。まず俺童貞ちゃうしぃ」
「うん」
「ヤリチンとちゃうしぃ」
「うんうん」
「せやけどっ……んせやのにぃ〜! ほんまに好きな子の抱き方はわからへんね〜ん!」
まずい。白膠木くんの赤面が私にも伝染してしまった。赤い顔をした私たちは、しばしそのままの状態で見つめあう。頬が熱い。きっと耳まで真っ赤だ。
「あ〜……どないしよぉ〜……」
魂をぬかれたみたいに、白膠木くんがしなだれかかってきた。私の肩に顔を埋め、浅い呼吸を繰り返している。肌にあたる息は熱い。ほんとうに熱があるのかもしれない。
「……とりあえず、キスでもしてみぃひん?」
この夜は長くなりそうだ。
(2019.11.2)
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