テレビ局って、だから嫌なんだ。
 台本にあいつの名前がないからと油断していた。そもそも、職場で彼氏を作るのが間違いだったんだ。

 自販機の前の長椅子に座っていた私のもとに、あいつは得意げな顔でやって来て、あろうことか正面に陣取ると私に見せつけるようにグラドルを口説きはじめた。どうやら振られた腹いせのつもりらしい。



「なぁきみいっつもそんな可愛えぇの? 今日がトクベツなん? 明日も明後日も可愛えぇんやろか?」

「あはは。なんやそれおもろいわぁ」



 ――おもろいわけあるか。

 そういう幼稚さに嫌気がさして、私から別れ話を切り出したのは先月のことだった。以降はできるかぎり顔を合わせないように気をつけていたのに。

 勝ち誇った眼差しがうっとうしい。かと言って、立ち去るのも逃げるみたいでなんだか癪だ。だって先に座っていたのは私だし。


 そんなふうに密かに煩悶していると細い廊下の向こうから、ひときわ目を引く派手なスーツを着た人物が近づいてきた。遠目でも色合いだけで誰なのかわかる。



「おつかれさん〜……って、これどういう状況なん?!」



 この顔ぶれを見て、白膠木くんは露骨に驚いていた。
 白膠木くんと元カレは同期の芸人なので、彼は事情を知っているのだ。私たちが付き合っていたことも、そしてすでに別れたことも。



「おう白膠木ぇ。今収録待ちやねん」

「おつかれさま」

「あー……」



 扇子で後頭部を掻く白膠木くんの表情はあきれているようだった。彼は意外と気遣いのできる人なので、きっとすべてを看取したのだろう。



「白膠木さぁん〜最近会えてへんかったから寂しかったんですよぉ〜」

「お〜、そやったかなぁ〜?」

「このあと飲みに行こうって話しとったんですけどぉ、白膠木さんも一緒に行きません?」



 さっきまで元カレが口説いていたグラドルは、あからさまなほど白膠木くんに尾を振っている。ざまぁみろだ。



「あ〜すまん、今夜は先約があんねん」

「えぇ〜残念やわぁ」

「彼女とな。最近付き合うたばっかなんやけど――」

「白膠木さん、彼女いたんですかぁ!?」

「せやねん」



 番組の前説ばかりの元カレと違い、白膠木くんは売れっ子芸人だ。限られた余暇をやりくりして彼女と過ごす時間を作るなんて、やっぱり白膠木くんって、いい人だなぁ。そんなふうに納得する私の肩に、ぽん、となにかが置かれた。それが白膠木くんの手だと気づいたのは、数秒が経ってからだった。



「なっ?」

「えっ」



 扇子で口元を隠しているから、向かいの彼らには見えていないけれど、私にだけわかるように「しぃ」と人差し指を唇に当てている。話を合わせろという合図だろうか。でも、どうして。



「そーいうことで。ワイらは失礼さしてもらいますぅ〜」

「は? おい、白膠木――」

「ほな、おつかれさん〜」



 そうして白膠木くんは、彼らに背を向けると、私の肩を抱いてその場から離れていく。閉じた扇子を頭上でひらひらと振りながら。
















 連れて行かれた先は彼の楽屋だった。



「……くふふっ。アイツの顔見たぁ? ほんまアホ面やったなぁ〜」



 どうやら私を連れ出すためにわざわざ一芝居打ってくれたらしい。前々からいい人だと思ってはいたけれど、ここまで親切だったとは。



「白膠木くん、ありがとね」

「ええねんええねん! ほんま気にすることないで。あいつと別れられてむしろラッキーやったくらいやわ」

「あはは。ほんとね、私もそう思うよ」

「……にしてはえらく暗い顔しとるやん。俺がおもろい話したろか?」

「それ、ふつう自分で言う? みんな素人さんから"面白い話して"って無茶振りされて困るもんじゃないの?」

「まぁなぁ。……せやけど、女の子がヘコんでるときに笑わせられんやつが芸人なんて名乗ったらあかんやろ?」



 そのようにして白膠木簓のソロライブが始まった。
 彼のおしゃべりは実際に面白かったし、なによりも私を励ましたいという彼の優しさが胸の奥深くまで伝わってきて、自然と頬が緩んでいった。



「ほんでな、ガー言ってやってん。それ彼女やのぅてオカンやろ〜、って。でな――」



 それにしてもよく舌が回る。よどみなく流れ続ける滝のような話しぶりだった。
 ――白膠木くんって、こんなにおしゃべりな人だったかな。
 収録中こそ芸人然とした話術で場を盛りあげるけれど、プライベートではもう少し落ち着いた印象だった気がする。それに、なんだか焦っているような。どことなく切羽詰まった雰囲気だ。



「さっきから妙な熱視線感じるねんけどどないしたん? 簓ちゃんの顔になんかついとる? 男前すぎ? ってか話聞いとった?」

「聞いてるよ。口達者だなぁ〜って感心してたの」

「ははっ、よー言われるわ。……緊張するとつい、べらべらしゃべってまうねん」

「緊張? なんで?」



 生放送の最中だって平然としている人が、どうして今、緊張する必要があるのだろう。
 私が首を傾げていると、白膠木くんはもったいぶったように「ごほんっ!」と咳払いをした。



「……こっからが本題やねんけど」

「本題?」

「まぁ聞いてや」



 白膠木くんは座布団に座り直すと、まるで落語家のように扇子で膝を叩いた。



「えー、昔々。言うても数年前のお話ですぅ。あるところに若手芸人の男がおりましてぇ。えーなんでもぉ、そいつはなかなかのヘタレで。もたもたしとるうちに好きな子を横から奪われる始末でありますぅ。せやけどまァ〜、彼女の幸せそうな顔見とりましたら、諦めもついた――なんちゅーて、今にして思えばとんでもないド間抜けアホンダラ。さらには彼女の恋人っちゅーその男、なんでもえらいガキくさくて、まぁ〜けったいなヤツでありました。なんでよりによってあのボケと付き合うとんねん、俺のがオモロいうえに優しくてシュっとしとるやろ! ……と、男は悔しくてたまらんかったわけでありますぅ」

「……」

「なんやその"意味がわかりまっせ〜ん"みたいな顔は! いくら鈍感でもここまで言えばわかるやろ?!」

「わかんないよ! もしかしてどこかにカメラある?」

「ドッキリちゃうわ! ……まぁようするにな、あんなクソボケ野郎ははよ忘れて、かわりに俺とかどうですかって話なんやけど」

「…………へっ?」



 白膠木くんはそこまで一息で言い切ると、ぱたりと押し黙ってしまった。口を閉じ、頬を染めて、返事を急かす目でこちらを見つめてくる。私がまじまじと見つめ返せば、彼は染まる頬を隠すように扇子を広げた。
 いたずらっ子のように可愛らしく笑っていたかと思えば、まばたきした次の瞬間には、真剣な男の人の顔に変わっている。くるくると喜怒哀楽がめまぐるしく移り変わる、万華鏡のようなその表情に、私は目が離せなかった。
 そうして私がなにも言えずにいると、痺れを切らしたのか、白膠木くんはずいと顔を寄せて、耳元でささやいた。
 あぁ、この人は、いったいどこまで本気なんだろう。



なまえちゃん、俺の彼女にならへん?」





(2019.10.31)


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