「釘宮さんっ」

「ゲぇえッ」


 一面のガラス張りから柔らかい陽光が差し込んでくる、穏やかな水曜の昼下がりをかき乱す闖入者は、これでもかと顔をしかめる俺に反して満面の笑みだ。
 広いカフェテリアで、わざわざ隅の二人用テーブルを陣取り、のんびりコーヒーを飲んでいる人間に対し、無遠慮に声をかけるのみならず向かいの椅子に腰掛ける厚かましさたるや。


なまえちゃん、どうしたのォ……」

「この後時間あります? ありますよね?」

「……ないよぉ〜めちゃくちゃ忙しいからねェ〜」

「えーそうなんですか! 水曜日っていつも午後から授業取らずにカフェと喫煙所でダラっとしたあと裏門横の公園のベンチで野良猫眺めて6時からダンスのレッスンだと思ってました」


 ストーカー女め。
 ともすれば俺よりも俺の行動を把握しているのではと、ときどき真剣にそう思う。そもそも出くわす頻度が異常だ。みょうじなまえは毎度「偶然ですねー!」と意図的ではないと強調するが、ここまで来ると俺の私物のどれかにGPSが仕込まれていて、追跡されているのではと疑いたくもなる。

 ことの始まりは去年の新歓だ。
 たまに顔を出す競技ダンス部の部長からどうしてもと懇願され、不承不承ついて行った居酒屋で、初々しい新入生に混ざった二年のみょうじなまえは、にへらにへらと間の抜けた笑みを浮かべて俺の横にするりと滑り込んできた。

 「釘宮さんですよね」そうだ、と返事をするより早く、「ファンなんですよ」と、いつだったかのジュニアの大会で見たというワルツを褒めちぎるみょうじなまえは、ダンス未経験らしい。大会にいたのは、いとこを見に来たからで、これからも今後もやってみる気はないと言うが(だったらなぜ競技ダンス部の新歓に来たのか疑問だ)、それにしては熱のこもった話しぶりだった。
 俺自身も出場していたかどうか曖昧なほどの出来事を、昨日のことのように語るのが(それも見ず知らずの女がだ)、なんとも言えずおかしな心地で、その非現実的感覚の影響か酒が回るのが早かった。

 翌朝、半裸の女が俺のベッドで熟睡していた。言うまでもなくみょうじなまえである。昨晩のおぼろげな記憶をたどってみるがはっきりとしない。きっとこれはたちの悪い夢だろうと、もう一度目を閉じてみるが、状況は変わらなかった。俺の願いも虚しく、悪夢からは覚めきれずに今に至るのだった。


「来月友達が留学するんですけど。ほら、釘宮さんも知ってますよね? 月曜の二講目で一緒だった――」

「さぁ、知らないな」

「で、その子の行ってらっしゃいパーティーを女の子たちだけですることになったんですけど、ちょっぴりいいとこでやるんでドレスコードあるんですよね」

「…………」


 それがどうした、という顔で突っぱねるが、みょうじなまえには何の効果もないようだった。


「ドレス選ぶの、ついてきてもらえません?」

「ヤダ」

「釘宮さんってダンスやってるじゃないですかぁ。だから選び慣れてるだろうし、それにセンスもいいし」

「俺が着てるのは燕尾服だよ」

「もぉ〜お願いしますよ〜! 釘宮さんは隣りにいてくれるだけでいいですから! 黙ってわたしについてきてください!」


 やけに男前なセリフを吐かれ、ダメ押しとばかりに、

「ドレス買った帰りに猫カフェ行きましょ? この前いいお店見つけちゃったんですよ」

 この一言で俺はむざむざと降伏した。








「これなんてどうです?」

(最低。)

「これは?」

(最悪。)

「これとかよくないですか?」

(正気か?)

「こっちは?」

(悪夢だ。)



 ことごとく似合わないドレスを身にあてがい、はつらつとした表情を向けてくるみょうじなまえに痺れを切らして、俺はついに口を開いてしまった。


「……あのさ君」

「似合いませんかね」

「似合ってな…………いや、そっちの黒は身内の遊びに着てくにはシックすぎるし、赤い方は形がスタンダード向けなんだよ」

「スタンダード」

「……つまり、君の体型に合うのはこれとか、向こうのマネキンが着てるようなのってこと。こういう細身ロングはかなりの長身じゃないとしっくりこないから、たとえば――」


 なにをべらべらと熱弁しているんだ釘宮方美。
 適当な相槌でも打ってさっさとネコにゃんランド(そういう店名なのだと聞いた)に直行すれば良いものの。このちんちくりん女が似合わないドレスを着て恥をかこうと知ったことか。たかが女子会のドレスだ、ほっとけばいい。

 内心では毒づく自分がいる一方で、気付くと本人より真剣にドレスを探してしまっていた。俺は俺のこういうところが嫌いなのだ。


「これだな」

「わぁ〜〜これはたしかにたしかにですよ〜〜」

「ンだそれ」

「釘宮さんのおっしゃる通りってことです!」

「……あっそ」


 店の中で唯一「これなら」という一着を抱え、上機嫌でレジに向かうみょうじなまえの背中を眺めながら、こいつはきっとラテン向けだなと思う。なかでもジャイブがハマるだろう。だとすればスタンダードダンサーの俺と一緒には踊れないな、などと考える自分がおかしかった。














「あっれぇえ〜?」

「……おい」


 "ネコにゃんランド"の看板の下、ガラス扉には猫型のドアプレートにcloseの文字がひっそりと並んでいた。


「お休みでしたねぇ」

「でしたねぇ、じゃねーだろうが」

「じゃあまた今度来ましょうよ。今週末なんてどうです?」




(2018.03/15)


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