たとえるなら、その声は。……いや、これといってうまい表現があるわけではないのだが。たとえば花束のなかで、薔薇やチューリップといった色のついた派手な花ではないけれど、押し付けがましさや嫌味のない、白くちいさい、やさしい蕾。
それがみょうじなまえの声であり、さらには彼女という人間を表すにふさわしいと俺は思う。
「――君待つと、あが恋いおれば、わが屋戸の、すだれ動かし、秋風の吹く」
ひとつ机を挟んで隣の席だというのに、耳を澄まし、聴くことに専念しなくては取りこぼしてしまいそうな声のか細さだ。
他の連中は見てるこっちが気持よくなるほど熟睡していたり、眠っているふりをして携帯をいじったり、やる気のない教師なのをいいことに好き勝手に過ごしている。まるで保育園のお昼寝タイムかと疑ってしまうほどの無法地帯だ。そのくせ、休み時間になると復活したゾンビのようにむくりむくりと起き上がり、けたたましく騒ぎまくるのだからたちが悪い。
「春過ぎて、夏来るらし、白たえの……」
みょうじが紙の上の文字を追うことに必死になっていても、聴いているのはおそらく俺くらいで、教師すらも眠そうに眼鏡を上げ下げしているのだから呆れたものだ。
声量こそ頼りないけれど朗読そのものは決して下手ではなく、少しゆったりしたペースは和歌の読み上げにちょうどいい。言葉の節々に赤子の産毛を思わせる柔らかさをまとっている。単語の区切り方、アクセントの付け方、優しげな声質。それらも煎じ詰めれば話者の温和な性格がもたらす印象によるものだろうか。
できることなら目を伏せて、いつまでも彼女が語るのを聴き続けていたいと思う。俺が教師なら、居眠りしているやつらの頭を片っ端から叩いてでも聴かせたかもしれない。
「よし、そこまで。続きは来週の――」
今し方まで大いびきをかいていた連中が、飯の知らせを察した犬みたいに騒ぎ始め、チャイムが鳴りだすと教室はすっかりゲームセンターのような喧騒に包まれた。
「なあ、今日の祭り、みょうじも来るかな」
ぴくん、と耳が敏感に反応した。このどよめきの中から「みょうじ」というワードのみを抽出し、瞬時に発声者まで割り出してしまうのは、俺の聴覚がとりわけすぐれているせいだと思いたい。
声の主を静かに目で追う。三列前の席でダベっている、バスケ部の連中だ。あいつらの会話といえば、どのAV女優が好きだとか、他校の女とやったとか、とにもかくにも品性下劣で低俗な、底の浅い野郎の集まりだ。
そんなやつらが、一体みょうじに何の用があるというのだ。お前らは先程みょうじが万葉集を読み上げるあいだ中、大いびきをかいていたじゃねえか。まさか祭りに誘うんじゃないだろうな。
「来るんじゃねーの? みょうじのグループの女子は朝から浴衣の話ばっかしてたぞ。なに、好きなわけ?」
「好きっつーか狙ってるっつーか」
「!!!!」
その瞬間、全身の毛がびりびりと垂直に立ち上がり、末端から徐々に血の気が引いていくような感覚をおぼえた。
狙うってなんだよ。今狙われているのはお前の首のほうだ、覚悟しろクソタワケ野郎。
「みょうじって大人しくて、それでいて顔も悪くないもんな。押しに弱えーし」
みょうじという人間の表面の表面の枝豆の薄皮くらいの表面を、もっともらしく語るやつらの声に耐え切れず、握りこぶしが震えた。
いや、冷静になれ、落ち着くんだ、君下敦。みょうじもそうだが、なによりみょうじと仲の良い女子がこいつらみたいなガキを相手にするわけがない。おそらく、一笑に付してみょうじには指一本ふれさせないに違いない。
「そうそう。いつもぼーっとしてるから、暗がりに連れ込めばどうにでもなりそうだし」
「どうにでもってなんだよ」
「胸くらいは揉ませてくれるんじゃね?」
「ギャハハ」
大声でとんでもないことを語る阿呆どもに、一言注意してやろううかと思ったが、なんと声をかけていいのか適当な言葉が見当たらず、そもそも友人ですらない俺が何をそんなに憤っているのだろうか。ただでさえ貧乏なのに貧乏ゆすりが止まらない。足の動きに合わせて机が揺れ、シャープペンシルが転がり落ちた。行き場のない苛立ちは募るばかりだ。
呪詛のつもりで背中を睨みつけてみるが、図太く無神経なやつらが気づく気配はない。
「チッ……」
どうかみょうじが祭りになんて来なければいいのにと、身勝手な願いを拳に込めて、自らの太腿を殴った。
(2016.02/03)
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