カーテン越しにうっすら差し込む光が朱色に染まっている。まさかなと思いスマホを確認して絶句した。すでに一日が終わりかけている。土曜日という貴重な休日を夢の世界で過ごしてしまったのだ、俺も、俺の背中にくっついてまだ寝息を立てているなまえも。
いっそこのまま次の朝まで寝てしまおうかと思いかけて踏みとどまる。そろそろなまえも「お腹へった」だとか言って目覚める頃だろう。
冷蔵庫に潜む残りものの野菜たちに思いを馳せながら、出来得る限りの静かな所作で起き上がり服を身につけていく。一枚、また一枚と布を纏うごとに段々と人間らしさを取り戻していくような心地がした。
「んぅ……速ちゃん……?」
ベッドの隅に腰掛けてスウェットを着ていると、ようやく目覚めたらしいなまえが俺を呼んだ。布団をかぶったままいも虫みたいにぐねぐねとこちらへ近づいてくる。腰元に冷えたなまえの指先が絡んできて、一瞬だが呼吸がとまった。
「おはよ〜」
「おはよう。もう夜なるけどな」
「速ちゃん、どこかいくの? 今日バイトだっけ」
「いや、飯作るだけ」
立ち上がろうにも、なまえの手は俺の臍の上で固くむすばれていて身動きが取れない。これだけ寝坊してもまだ寝足りないのだろうか。観念してテディベアのようにされるがままに抱かれてやった。
「髪やったげるよ」
頼んでないのになまえはそう言うと勝手に俺の髪を手ぐしでとかし始めた。どうせやるなら洗面所に行き、きちんとブラシを使って結って欲しいが、気分良さそうに鼻歌を歌い始めたので無駄な口出しは止めておく。
「速ちゃんの髪さらさら〜できもち〜」
ちいさな指が撫でるように髪の間をすり抜けていくのがたまらなく心地よかった。さらに寝起き特有の掠れた声で歌うように話すので、ふたたび夢の世界に引き込まれそうになる。
「"昨日"もね、ときどきくすぐったかったの。速ちゃんがいろんなところにキスするから、さらさら〜って肌の上におちてきて」
昨日は(正確に言うならば今日の朝方だが)さすがにやりすぎたな、と枕元に散乱したティッシュと正方形のゴミを眺めつつ思う。思うだけで自省することがないのが俺たちなので、きっとこれからも幾度となくこんな怠惰な目覚めを繰り返すのだろう。
「海外セレブみたいにしたげるね」
「テイラースウィフトみたいにか」
「う〜ん、もうちょっとかっこいい系。期待してて」
「おう」
かっこいい系と言ったわりに、その出来栄えは海外セレブというよりかディズニープリンセス、もっと言えば日曜夕方にじゃんけんしてる例のあの人に近い。
しかしながら、「かっこいい!」「すてき!」「さすが速ちゃん!」とありったけの賞賛を並べ褒めちぎるなまえが可愛くて、俺はありがとうと礼を言うよりほかない。男とは概して褒められるのに弱い生き物なのだ。
「ねっ、こっち見て。かっこいい速ちゃんと見つめ合いっこしてたい」
首の後ろになまえの腕が巻き付いてきて、とらえられた、と思う。こうなってしまったら夕食は当分先になるだろう。
ご所望通りなまえの額に自分の額をくっつけ、これでもかというくらい至近距離で見つめる。あまりに近すぎてピントが合わない。メルヘンなエフェクトがかけられたような俺の視界に映るのはいまだ下着姿のなまえだけ。まぁ悪くない世界だ。
「今日のご飯なににする?」
「そうだな、秋だし……」
「秋だしぃ?」
「茄子となまえの焼きびたし」
とろりと蕩けて零れ落ちそうな眼差しをしたなまえの頬を甘噛みする。耳元で「ぎゃはっ」と愉快な声が上がった。
「それから?」
「鶏とキノコのなまえ出汁炊き込みご飯」
「うひゃ」
今度は先程より丁寧に耳を舐めたが、なまえは遊びモードのていを崩さなかった。
頼むからもっと色気のある声を出してくれよ、そんな願いを込めて本気のキスをしようとしたが、俺の髪型こそが笑い種だったと思い至り、場違いな大声を上げて笑ってしまった。
「速ちゃん?」
「いや、悪りぃ。なんでもねえよ」
髪をほどこうと後頭部に手を回したが、やはりもう少しこのままでいよう。せっかくなまえが結ってくれたんだ。代わりに左手でなまえの目元を覆い、薄暗がりに浮かぶ唇に口付けた。
(2016.10/05)
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