学生って窮屈だな。なにも制服の話をしているわけじゃないけれど、広く言えばこれだってわたしたちを縛るもののひとつに違いない。スカート丈やカーディガンの色、登下校の時間、不純異性交遊禁止。どんな校則よりもテストがつらい、とぼやけば彼は笑うだろうか。

 きわめて短いホームルームが終わり、筆記用具をまとめているわたしの元にやってきた未蘭くんは、前の席の椅子を勝手に引いて、背もたれを抱きしめる形で座った。


「テストどうだった?」

「まあまあだな。あんたは?」


 顔の表情でそれを伝えると、ぷっと吹き出してからガハハと大笑いされた。


「今日ヒマか?」

「……はい?」


 中間テスト真っ最中でどの部活も強制的に休みだから、普段よりだいぶ早く帰宅できるけれど、今さっき物理の試験でずたぼろにされたところだ。みんな明日に備えて試験勉強するはずだし、そのための「全部活動禁止令」じゃないか。もしかして彼のなかには"サッカー出来ない"イコール"暇"という方程式が存在しているんだろうか。

 意図が読めない強い瞳を見つめてみるが答えは出そうにない。


「暇っていうか……普通に帰ってテスト勉強するけど……?」

「よし」


 勝手になにかを納得すると「決まりだな」と言ってわたしの鞄を持ってすたすた教室を出て行ってしまうので、わたしはほとんど駆け足で彼の背中を追った。


「未蘭くん、話聞いてた?! 日本語通じてる?!?」

「一夜漬けしたって大して変わりねえだろ。勉強ってのは毎日こつこつ継続してやってくもんだ」


 ぐうの音も出ないとはまさにこのことだ。かと言って彼が毎日予習復習を欠かさずこなしているかと聞けばきっと首をふるだろうし、授業中も居眠りをしていることが多い。
 この人は毎日遅くまでサッカーボールを蹴っているくせに、どういうわけか成績優秀だ。地頭がいいんだろう。勉強にかぎらず記憶力がいいのだ。

 未蘭くんの長い脚は廊下を抜けグラウンドを突っ切り駅の方へとずんずん進んでいく。何の前触れもなく停止した場所は、可愛らしい外観のカフェだった。そう言えば駅裏に新しくカフェが出来たって、お母さんが言ってたっけ。


「ここ?」

「ああ」

「なんか……可愛いね」


 少々困惑しつつも率直な感想を告げた。ごく一般的な女子高生の例に漏れず、わたしもありふれた可愛いものは好きだ。動物とか、子供とか、綺麗なお花とか。


「ずっと気になってたんだ」

 と、未蘭くんはまるで恋心を吐露するように呟いた。もちろんカフェのことだろう。わかっていても、心拍数が上がってしまうのをどうにもできない。


 ドアを開けるとちりりん、と懐かしいベルの音がひかえめに響いた。店内は全員女性客で、彼が無理にでもわたしを連れて来たかった理由を察してしまう。

 この空間に男性が、それも長身でたくましい未蘭くんならばなおさらだ。わたしを連れていても彼だけがくっきり浮いて見え、まるで女性向けファッション誌に長渕剛のステッカーを貼り付けたようにこの空間に馴染めていない。

 しかし未蘭くんはそんなこと気にもとめず、目をキラキラ輝かせながらメニューに見入っている。視線のみで店員さんを呼ぶその仕草は不思議と高貴さが漂っていた。


「恋香るベリーとアップルパイのパフェひとつ」

「はい」

「ほろにが失恋ショコラ涙の星屑パフェひとつ」

「はい」

「ショートケーキのぱふぱふマシュマロのせパフェひとつ」

「はい」

「ときめきマロンのささやきロマンスパフェひとつ」

「……はい」

「ぴちぴちピーチ乙女のよろめきパフェひとつ」

「……!」

みょうじは?」

「わ、わたしは……えーと……紅茶のスコーンセット」

「それとメロンソーダも」


 店員さんもわたしも、さらに隣のテーブルでお茶しているお姉さんも、マカロンと同じくらい目をまぁるくして彼の注文を聞いていた。
 パフェをまとめて5つも。メロンソーダまで?

 注文量の多さもさることながら、わたしはそれ以上に未蘭くんの口から「恋香る」とか「ほろにが失恋ショコラ」とか「ときめきマロン」とか「ぴちぴちピーチの乙女のよろめき」とか、そんな少女趣味的ワードが飛び出したことのほうが衝撃だった。

 彼が考えたメニューではないし、そうする他ないのだけれど。そもそもこんな可愛らしいカフェを彼が知っていて、かつ足を運びたいと思うことがまず驚きだ。

 思えば、入学してまだ数ヶ月だ。知らないことのほうが多いに決まっている。
 同じクラスでサッカー部でも一緒なわたしたちはほぼ一日中お互いの姿が視界に入っているから、彼のことはなんでも知ったように錯覚していたのかもしれない。


「おまたせ致しました」


 可愛らしい丸テーブルは、クリームの葉とフルーツの実がなる木が所狭しとそびえ立つ、妖精さんの森みたいになってしまった。

 彼はまず「ショートケーキのぱふぱふマシュマロのせパフェ」の木から伐採していくことにしたようで、マシュマロの実をぽんぽことテンポよく口に運び入れてゆく。大きな手で細いスプーンの柄を操るその眼差しは真剣そのもの。

 そうして小気味よく口と手を動かして、早くもひとつ目のパフェをカラにしてしまった。


「どうした」


 紅茶もスコーンにも手を付けずまじまじと見つめてしまっていた。怪訝そうに視線をよこした未蘭くんの口の端にはクリームがついている。そのくせ、目元にはいつもの鋭い男らしさが宿っていて、そのギャップがたまらなかった。

 ポケットからスマホをとりだしてカメラを起動する。スピーカー部分を指で押さえ、極力音がならないようにシャッターボタンを押したが、彼の耳にはしっかりと届いていたようだ。


「なに撮ってんだ」

「だって未蘭くん、なんか可愛いんだもん」

「可愛いだァ?」


 腕の良い飴細工職人が"不機嫌"というテーマで作ったような表情だった。

 わたしは人差し指で、自分の口の端を指差す。「クリーム」小声で指摘すると、彼は逆の唇をぺろりと舐めた。「逆、反対側の……」わたしの声に、彼は至極どうでもよさそうにクリームを舐めとった。


「消せ」

「やだ」


 しばしこちらを睨みつけていたが、思い出したようにまたパフェをつつき始めた。わんこそばの要領であっという間に白いクリームの山を食べ尽くしてしまう。ここまできたらいっそ気持ちが良いくらいだ。がつがつ。漫画にしたらそんな効果音がつきそうな気がする。


「未蘭くん、甘いの好きだったんだ」

「甘いのっつーか、パフェな」

「ふぅん……」

「何だその顔」

「ちょっぴり意外だったの」


 だって未蘭くんは、パフェよりも信者が集いしトクベツなラーメン屋さんで、「油と肉マシマシ〜」とかいう呪文で注文するタイプの大盛りラーメンと餃子と炒飯をかき込んでいるイメージだったから。

 かと言って、彼に対するなにかが劇的に変わるわけではなく、ただ頭のなかの相庭未蘭ノートに「主食:パフェ(一度に数種類を注文する。一人大食い選手権)」という一文が加わったにすぎない。


「いつもそんなに食べるの?」

「まあな」


 そんなふうに生返事をする彼の身体をかじったら、チョコクリームの味がするのではないかと思われた。血管と筋が浮いた、太く艶めいた首筋はコーヒー味。
 わたしはスコーンのかけらをかじりながら、パフェに夢中の彼を見つめ続ける。


「あんたはパフェ食わねえのか?」

「うん。……その、太るし」

「ハッ! くっだらね〜」

「未蘭くんとはカロリーの消費量が違うの」

「食えよ、うめえぞ。……ほら」


 細いスプーンの先にクリームとイチゴが乗っていた。それをこちらへ伸ばして、口を開けろと促される。間接キスってやつなんじゃないの、なんて子供じみたことを考えてみたりする。


「うん……おいしい」

「だろ?」


 歯を見せてにかっと笑う。たまにしか見せてくれない、未蘭くんの無邪気な笑顔が好きだった。


「でも5つもいらないかな」

「育ち盛りなんだよ」

「まだ育つわけ〜?」


 パフェを崩すのに一段落して、メロンソーダを飲み始めた未蘭くんと他愛ないおしゃべりを交わしながら、なんだかデートみたいだなと思った。デート、と心のなかで呟きながら店内の様子を眺めていたので、ニヤついていたかもしれない。

 不意にシャッター音が聞こえ、即座に正面を向けばしたり顔の未蘭くんと目があった。


「なに撮ってんの?!」

「可愛いから撮った。悪りぃか」

「ばか。消して」

「そっちこそ消せ」

「やだ。インスタに載せちゃお。一星と相庭未蘭のタグつけて」

「俺も載せちゃお。ダイエット中のタグつけて。ガイコツの絵文字つきな」

「も〜やめてよぉ〜」

「も〜」


 ガタイの良い高校生が、ちいさいスプーンを持ち、口の端にクリームをくっつけて、くねくねなよなよ動きながら「も〜」と繰り返す。それはそれは恐ろしい光景に違いない。

 部の誰かに見せてやりたい、と思ったのは一瞬で、すぐに思い直した自分がおかしかった。こういう未蘭くんを知っているのはわたしだけでいい。インスタにも載せない。誰にも見せたくない。鍵の付いた箱に入れてしまっておきたい。彼を物欲しそうに見るマスカラのびっしりついた目にふれさせないように。


「そろそろ出るか」

「ほんとに全部食べちゃったね」

「なんだ、やっぱり欲しかったのか」

「いやそうじゃなくて……」


 普通はフードファイターでもない限りパフェを5つも食べられないんだよ。わたしの呆れた声は彼の耳に届かなかったようだ。伝票を持ってずかずかレジに向かう背中を追う。お財布から五百円玉を出して渡すが、彼は受け取る気配を見せない。


「いい。食費は小遣いとは別で貰ってんだ」

「うわ……やなやつ〜」


 そう言えば噂では未蘭くんのお家には専用グラウンドがあるとかないとか。親がお金持ちという話もただの風説ではないのかもしれない。悔しいが、ここは「ごちそうさま」と言って素直に引き下がるしかないようだ。未蘭くんは片眉をくいと上げてこたえた。


「こんなに食べたら晩ごはんきついんじゃない?」

「よゆーよゆー。成長期の食欲なめんな」

「燃費悪いんだね」


 わたしが国産軽自動車だったら未蘭くんは馬鹿高い海外のスポーツカーだろう。あれだけ食べてスリムなのもまたスポーツカーらしくいまいましい。

 そんなに長居をしたつもりはなかったのに、外に出るとあたりは夕暮れの色と影で満ちていて、すぐそこまで夜の気配が迫ってきていた。


みょうじ


 背中を見せていた彼が立ち止まり、ちょいちょいと手招きする。近寄ると、スマホで内側のカメラを起動させていた。


「記念だ」

「なんの記念?」

「フルーツパフェ制覇記念」

「なぁにそれ」

「いいから来いよ」

「うわっ」


 画面を覗きこむのと同時に肩を抱かれ、シャッター音が響く。突然のことだったのでマヌケな表情になってしまったかもしれない。


「見せて見せて! っていうかわたしにも送って!」

「待ってろ」


 未蘭くんは大きすぎる手で、とても器用にスマホを扱う。その様子を眺めているとなんだか頭がぼ〜っとして、意識だけが四角い箱に閉じ込められ、身体の伝達がうまくいってないような、もどかしくもたまらない感覚に陥る。
 ぼんやりしている間にメッセージが届いていたようだ。見ると、「アホ面(あっかんべーの絵文字)」という文章と共に写真が添付されていた。たしかにアホ面だ。驚きと期待をはにかみで割ったジュースみたいな。


「ほら」


 自身のスマホの画面を見せる未蘭くんはどういうわけか得意げな顔をしていた。彼の巨大な手のひらの中で小さく見える液晶には、デジタル時計の下に未蘭くんとアホ面のわたし。


「わたしも待ち受けにしようかな。……いい?」

「なんで俺に許可求めんだよ」

「だって……」


 だって、の後が続かなかった。

 わたしと未蘭くんは恋人じゃない。
 二人の関係にタグをつけるとすれば、#同級生、#クラスメイト、#選手とマネージャー、#友達?、#席が隣。親友だけが知る秘密のアカウントには#好きな人、のタグをつけられてしまうかも。
 未蘭くんがこの写真にどんなタグを付けるのか、気になる反面知るのが怖かった。


「ゲーセン寄ってくか?」

「寄ってく!」


 たのしくて、うれしくて、でもせつない。秋の風が頬に当たってひりひりした。




(2016.10/15)


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