「―ミスタ、起きて」
「……」
「ミスタ」
「……んぁ〜」
さきほどから体を揺さぶっているがミスタは声にならない声をあげるばかりで、いつまでも意識がはっきりとしない。
次の休みは映画を観に行くと約束したじゃないか。昨夜、ばかみたいにワインをがぶ飲みしたせいで、昼も過ぎているというのにミスタはいまだベッドの上。
それどころか背中を向けて本格的に寝直す姿勢だ。
「もう……」
わたしはミスタの背中、肩甲骨のあたりに手を這わせる。骨の境目に小さなほくろがふたつ並んでいた。それを見て、幼稚な彼にふさわしい悪ふざけがひらめく。ほんの出来心だった。
「……ミスタの背中にほくろ四つみっけちゃった〜」
「嘘だろ!?」
予想どおり、ミスタの眠気は一瞬で吹きとんだ。
心肺蘇生で電気ショックをうけた患者のような勢いで飛びおきると、背中に目をやろうと体をねじらせている。近頃やっとミスタの操縦方法がわかってきた。なぜかこの男は四≠フ数字に弱い。
「嘘だよ。おはよう」
「おい……」
「怒っちゃった?」
「……」
あまりに沈黙が続くので、怖くなってミスタの顔を覗きこむ。
「……ミスタ…………?」
「カンカンだぜ〜ッ!」
「キャ〜!」
犬のように飛びかかってきたミスタは、わたしをベッドに押したおすと、顔中にキスの雨を降らせ、整えたばかりの髪を両手でかき乱した。最悪だ。五歳のマンモーニだってこんな悪ふざけはしない。
「おらおらおら〜!」
「やめてぇッ! せっかくメイクしたのにッ! 髪ッ! わたしの髪にさわらないでェーッ!」
「ははぁ!」
部屋にはわたしの悲鳴とミスタの高笑いが響きわたっていたので、もし窓が開いていたら通報されたかもしれない。
ようやく満足したミスタは、起きあがって服を着はじめた。
わたしはというと、台風が過ぎさったあとの髪をどうにか整えようと必死だ。顔もミスタの唾液で濡れている気がするが、今からベースメイクをやり直すには時間が足りない。ミスタはもう歯を磨きはじめているので、あと五分もしないうちに身支度を完了させるだろう。
いつだってミスタの朝準備は早い。その気になれば一瞬で終わってしまうのだ。
「ミスタじゃまッ! どいてよ!」
「あぁ? ンだよ、まだなんかやることあんのかァ〜?」
「あんたに台無しにされた髪をなおすのっ! それとメイクもッ!」
「台無しだァ? カンペキの間違いじゃあねえのォ〜?」
「うるさいッ!」
「へへっ」
押し合いへし合い洗面台をとりあって、身支度を終えるころにはもうくたくただった。
「部屋の鍵持ったか?」
「持った」
そうしてミスタは寝癖のついた頭にお気に入りの帽子をかぶった。
ポケットに入ったミスタの手。その腕と腰の間には、不自然な空間が作られている。
もちろん、わたしが腕を絡めるためのスペースだ。
「さあ、行こうぜ!」
だいぶ出遅れてしまったけれど、わたしたちの一日が始まった。
(2019/03/25)
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