「ホルマジオ、リーダー知らねぇか?」


 昼寝しようと瞼をおろしかけた俺を呼んだのは、平常時の二割増しに不機嫌そうなギアッチョだった。
 おおかたコイツもスカスカの財布と銀行口座に辟易して、取立て屋よろしく給料を督促しに来たのだろう。このチームの人間にとって給料とは期日になったら自動的に振りこまれるような簡便なものでなく、催促してやっと手中に収めることができるものなのだ。
 ときには一部しか支払われないこともあるが、なにもリゾットがリーダーの立場を利用して俺たちの給料を着服しているわけじゃあない。原因はもっと上の、このチームの存在をよく思っていない重役たちの仕業だ。リゾットはむしろ俺たちのために奮闘している真っ最中だろう。


「よぉ、俺もリゾット待ってんだ。夜までには戻るってよ」

「そうか」

「オメーも給料待ちか?」

「あぁ、まぁな」


 二人で不満を漏らしたところで現実はなにも変わらない、それどころか余計に惨めになってしまう。すべてを察した俺たちは以降閉口して、おのおの有意義に暇を潰すことに専念した。さっそく俺は昼寝に、ギアッチョは向かいのソファに寝ころんで持参した本を読み始めた。


「ただいま〜。――あ、ギアッチョ〜! ……なあんだぁホルマジオも一緒かぁ」

「おう」


 ばたばたと慌しくも可愛らしい足音を響かせて登場したなまえは、まず第一にギアッチョの姿を捉えて目を輝かせると、直後俺を発見してあからさまにがっかりした顔を見せやがった。悪かったな、二人きりじゃあなくて。俺だってアツアツすぎるカップルの邪魔はしたくねぇが、ほかに行き場もねぇし我慢してくれよ。
 俺の意思が伝わったのかそうでないのか、なまえは真っ直ぐにギアッチョ側のソファに駆けよって、おそらく二人きりのときとそう変わらない仲良しモードに突入し始めた。


「ギアッチョ〜、隣いい?」

「よくねぇ」

「うふふーありがと」


 よくねぇ、と言いつつも、このアマノジャク野郎はご丁寧に恋人のためスペースを空けてやったようだ。こうも発言と行動が真逆な人間はめずらしい。言うまでもなく真意は行動の方にあらわれている。
 しかしなまえはギアッチョが用意したスペースの逆側に入りこみ、そのままギューっと押しやって隙間を作り始めた。どのような意図があったかは不明だが、その場所が彼女にとってのベストポジションだったらしく、たいへん満足気な表情をしている。


「なにやってんだァ?」

「こっち側の方が落ちつくの。右側ってなんか嫌で」

「そうかァ?」

「そーなのー」


 二人はそれほど大きくはないソファに仰向けになって、片方はファッション雑誌を、片方はなにか分厚い文庫本を読んでいた。なまえのほうはじつに自然な所作でページをめくっているが、ギアッチョは隣にいる恋人が気になって仕方がないようだ。さきほどからそわそわと彼女に目をやったり舌打ちをしたり頭をかきむしったりと落ちつきがまるでない。発情期の猫みたいな気ぜわしさだ。
 ――そういやこいつら、付きあい始めてまだ三ヶ月だもんなァ。きっと俺さえいなければここでやっちまってるんだろう。


「ギアッチョ、なんの本読んでるの?」

「オイ! 邪魔すんな!」

「じゃましてないよ、ぜんぜん」

「そうやって話しかけてくんのがスデに邪魔なんだよッ!」


 口では罵っていてもまったく拒否する気配がない。むしろ少しうれしそうな表情すらうかがえる。ギアッチョはなにかとスグ切れるし頭は固いしで、一見すれば好いた女に対しても冷たい態度をとっているように見えかねないが、実際この男は彼女を可愛がって甘やかして、もうほとんど言いなりだ。


「……」

「ギアッチョー?」

「…………」

「眉間にシワ、できてるよー。かぁわい〜」

「ッだぁああああるっせぇなあ! 落とすぞコラッ!」

「キャ〜!」

「おらおらッ! 落ちろクソ女ッ!」


 いちゃいちゃ、らぶらぶ。今この二人を形容する効果音はまさにそれだった。
 結局ギアッチョはなまえをソファから突きおとすことはなく、なまえもそれを承知しているかのように安心しきって戯れに興じている。こうしてみると兄弟猫がじゃれあっているようだ。猫じゃらしなんか出したら二人とも飛びかかってくるかもしれない。
 そんな騒がしすぎる部屋では到底昼寝などできるはずもなく、俺はあきらめて上体を起こしTVの電源をつけた。壊れかけたブラウン管(これも以前ギアッチョが壊しやがったんだ)には、夕方特有の奥様向け番組が映っている。あ、うまそう。さぁてさて今夜の献立は来たる夏に向けてのスタミナ食材をふんだんに使用したお料理です。キャスターが流暢にレシピを諳んじていくのを聞きながしながら、ポケットから携帯をとりだしてメールボックスを確認する。新着メッセージ0件。俺はまめなタイプではないし(それでも同じチームのやつよりか幾分ましだと自負している)特定の恋人もいねぇから当たり前と言えば当たり前なのだが、少し落胆している自分に驚く。まさかこの二人を見て人肌恋しくなるだなんて。
 いちゃいちゃ猫ファイトが終わると、二匹はなにごともなかったかのように読書に戻っていった。


「ねぇギアッチョ腕出して〜」

「アァ?」

「うーでぇー」

「腕出してってよォ……そりゃあどういうことだァ? 腕ならとっくに出てるだろうがよォ、だいたいオメーの言葉にはいつだって――」

「もぉーいーから! 早く腕枕してよ」

「ったくよォ〜おめーはよォ〜」


 まったくこいつらは似合いのカップルだ。ギアッチョの石ころ並みに凝り固まった思考も、なまえにかかればミルクに浸したビスケットみたいにほろほろと砕けてしまうらしい。つまるところ彼女は見事ギアッチョの腕枕を勝ちとったのだ。


「ねぇ見てこの靴。すっごく可愛い」

「……」

「このネックレスもいいなぁ」

「……」

「この水着もすてき!」

「……ハァア? どこがステキだァ? 露出狂かテメーはよォ〜!」

「だって水着だもん、露出してるに決まってんじゃん」

「限度ってもんがあんだろ〜がッ! クソッ!」

「もーうるさいなぁ……今月ダイエット特集だぁ。ギアッチョ、眼鏡貸して」

「――あっテメェッ! それじゃあ俺が見えねぇだろうがッ!」

「ちょっとだけだから貸してよぉ」

「自分の使えボケがッ!」

「だってなくしちゃったんだもん」

「買いに行け!」

「えぇ〜でもなんか不安だし〜」

「一人で買い物もできねぇのかマンモーナが! 今週末あけとけよクソッタレ!」


 散々にけなしながらも(最後の台詞はべジータを彷彿させられた)眼鏡を貸してやり、さらに後日買い物に付きそってやるというギアッチョの優しさたるや。これが惚れた弱みというやつなのだろうが、それにしたってすげぇなと思う。マジな話、恋は人を変えるのだ。これがなまえじゃあなくメローネなんかだったら、すでにこのソファは氷づけにされているだろう。メローネもろとも。


「……ギアッチョっていつも眼鏡かけたままキスしてくれるけど、それってすごいよねぇ」

「ハァ? 普通だろーが!」

「だってさ、この眼鏡けっこうゴツイじゃん。鼻とかにぶつかったりしないなーって思って」

「……そりゃあ、色々気ィ遣ってるからな」

「ねぇねぇ、じゃあ、わたしからしてみてもいい?」


 ギアッチョはなにも言わないかわりに、少し首を傾けさせた。なまえはゆっくりと近づいて、探るように唇をふれあわせた。眼鏡をかけた状態でのキスに不慣れらしい彼女はフレーム部分がギアッチョの頬に当ってがちゃがちゃと音を立てている。そのたどたどしい動きを軌道修正するように、ギアッチョの手がなまえの頬に置かれた。


「なかなかうめぇじゃねぇか」

「ほんと?」

「あぁ」

「……ねぇ、もっとしようよ」

「続きしてやるから眼鏡返せ」

「え〜」

「このままじゃキスしてっときのオメーのアホ面が見えねぇんだよ」

「なにそれヒドイ」

「……いーから、こっち向け」

「……んっ」


 ――もしかしてこいつら、俺の存在を完璧に忘れちまったわけじゃあねぇよな?
 試しにわざとらしく咳払いをしてみたけれど、熱い口づけはまったくやむ気配を見せない。それどころかキスは一層激しく深いものに移行しつつあるようで、えろちっくなリップ音と布擦れの音まで聞こえてきやがる始末だ。
 ささやかな抵抗としてTVの音量を上げるが、もうすっかり二人だけの世界にいっちまったやつらには効き目がなかったらしい。テレビの音とバカップルのいちゃつく音とが交互に聞こえてきて、俺の鼓膜は大混乱だ。次にオリーブオイルを鍋に注いで、ちゅっちゅっ、煮立ってきたら塩を一つまみ加えましょう、ちゅっちゅっ、チーズを乗せたら完成です。
 リゾット、いやもうこの際だから誰でもいい、とにかく早く帰ってきてくんねぇかなァ〜。





(2013.02/09 UP)(2019.07/07 修正)


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