目がちかちかする。平衡感覚も、なくなっちゃいそうだ。

 闇のなかを色とりどりの光線が飛びかって、下腹に響く低音が、スピーカーから絶え間なく繰りだされる。そのリズムに合わせて揺れ動く人たち。わたしにふれるギアッチョの身体も同じように揺れている。



 なまえ


 ギアッチョが、わたしを呼んでいる。それが、すこしだけ口角のあがった唇の形でわかる。眉毛とまぶたの隙間でわかる。わたしを呼ぶときの優しい目でわかる。
 声そのものは爆音にかき消されて鼓膜までは届かなかったけれど、いつも本心とは裏腹な発言をしてしまうギアッチョのささやかな愛情表現をわたしはけっして見逃さない。



「寒くねーか?」



 ぴったりと、ほとんど抱きつくようにわたしの身体を覆うギアッチョの腕や足は、この熱気のなかでも冷たくて気持ちがいい。ギアッチョのスタンドは、ホワイトアルバムは、夏場やこういった人ごみですごく重宝するのだ。



「うん、へーき」



 この状況で寒さを気にしているのはきっとギアッチョぐらいだろう。フロアは超満員とまではいかないものの、イブのイベントということで客入りはなかなかだ。きわどいサンタ服を着たパーティ・ガールや、トナカイのカチューシャをつけた浮かれた青年たち。飲み、叫び、踊る。
 若者の権化みたいな人たちを、ひとところに集め、知り得る遊びのかぎりを尽くした感じだ。

 ギアッチョはその雑踏からわたしを守るみたいに抱きしめてくれた。わたしの顎をさわったり、ほっぺを優しく引っ張って遊んだり。たまにキスもしてくれる。額をくっつけて、なにをするでもなくじっと見つめあって。酔って、とろんと溶けた目が可愛い。
 人前ではめったにふれてこないギアッチョも、こういった暗がりで、さらにお酒が入ると、急にスキンシップを求めてくる。わたしはそれがたまらなく好きで、うれしくて、よく知りもしない音楽を好きなふりをする。ロックもヒップホップもEDMも、ほんとうはさほど興味なんてないのだ。クラブでいちゃつきたいだけで。



「このクラブ、プロシュートの女がいるらしいぜ」

「えっ、うそ、どこ?」

「VIPルームのバーテンだとよ」



 つまりここにはいないのか。なぁんだ残念。あの俺様野郎のプロシュートを尻に敷いてしまう(らしい)彼女のご尊顔を、一度でいいから拝みたかったのに。



「あ、この曲好き」

「オレも」



 有名なクリスマスソングのミックスだった。もとの原曲は、失恋しナターレを寂しく過ごす男の切なさがつまった楽曲だ。哀愁漂うアコギのそれが、太いベース音のテクノポップとマッシュアップされ、このような場にふさわしい曲に生まれ変わっている。



「お前と一緒のときは、いつもよかいい音に聞こえんだ」

「それってどーいう意味?」



 ギアッチョはわたしの鼻先に軽いキスを落とすと、左手に持っていた瓶ビールを飲み干した。目の前で喉ぼとけが勇ましく上下している。ゴクゴクと音が聞こえてきそうなほどの勢いに、わたしの目はすっかり釘付けになる。そこに舌を這わせる妄想までしてみる。汗の味が口のなかに広がった、気がした。

 こんなふうに、ふいに男らしさを見せつけられると、胸をときめかせずにはいられない。



「好きで好きでたまんねーってことだよ」



 次いで、この物言いだからずるい。

 しらふなら考えられないような、可愛くって素直な台詞を、今のこの人はなんの躊躇いもなく言えてしまうのだろう。アルコールにはギアッチョの心を溶かしてしまう作用まであるらしかった。酔うといつもこんな調子だ。わたしの道徳心があとすこし足りなければ、毎日でも酔いつぶしていただろう。


 いつだったかも、泥酔した夜に「なまえが隣にいるとなにもかもが輝いて見えるぜ。毎日通る街並みも、飽くほど聞いた音楽なんかもスゲーいいんだ。キメたときみてーに感じんだ」とかなんとか、甘い台詞を吐いていたっけ。

 それはわたしが、ギアッチョと一緒に観ると同じ映画でもいつもより楽しかったり(ギアッチョがいちいち横槍を入れてきて集中できないけど)、二人だとファーストフードが最高級のディナーみたいに、おいしく感じたりするのと同じなのだろう。



「わたしも好きだよ」


 ギアッチョの耳元に口を寄せてしゃべると、やわらかい髪が顔に当たってくすぐったかった。















 そうしてわたしたちがいちゃついている間にも、元々騒がしかったフロアはより一層勢いを増していた。ナターレの、つまりは12時へのカウントダウンが始まったようで、辺りはまるで年越しみたいなお祭り騒ぎだ。
 この人たちにとっては、ナターレもニューイヤーもバレンタインもさして違いはないんだろう。馬鹿騒ぎすることの大義名分さえあればそれでいいのだ。
 その点ではわたしたちも同類かもしれない。いつだって二人で戯れるための口実を探している。



「ドゥーエ、ウーノ……」



 サンタの格好をしたDJがマイク越しに叫ぶカウントすらも、人々の雄叫びによってかき消される。さぁ、もうすぐだ。このフェスタの山場が、



「――ボンナターレ!」



 瞬間、カンシャク玉が弾け飛んだように会場がわいた。サンタ帽やらトナカイの角やらが空を飛んでいく。どこかで誰かがシャンパンを開けたようだ。その飛沫と歓声がわたしたちのところまでも届いた。いつ持ちこんだのか風船や花火まで飛びかう始末だ。

 ギアッチョの髪にはクラッカーの紙ふぶきらしきものが絡まっていて――いや、もしかすると、それはただのゴミかもしれない――みんな一斉に手に持っていたものを頭上にほうったから、今頬を掠めたそれがなんなのかもわからなかった。
 本来なら汚らしく感じるものも、ばかばかしいことも、今ならぜんぶ煌いて見えるから不思議だ。

 喜びとエネルギーを分け与えるみたいに、隣にいる人と抱き合ったり、キスしたり。それが知らない誰かでも、たとえ同性だろうとなんだろうとお構いなしに、片っ端から会場のみんながキスしている。ほんとうにめちゃくちゃだ。

 もちろん、わたしがするのは、決まってる。ほかの誰でもない。この唇だ。















 ボンナターレ。来年も一緒にナターレの夜を迎えられますように。







(2012.12/24 UP)(2019.11/12 修正)



< BACK >