髪型は顔よりも印象を左右させる、ってほんとうだったんだな。わたしは、恋人とおぼしき人物を見あげながら、心底そう思った。



「えーと……どちらさま?」



 ギアッチョが、パーマをかけたようだ。それも、超どストレートの。

 今朝、目が覚めた直後に見たものは、本来なら隣にあるはずの恋人の寝顔ではなく、そっけない一通のメールだった。"野暮用がある。昼過ぎには帰る" 久々の休日をどんなふうに過ごそうかと、昨夜から心躍らせていたわたしはすっかり意気消沈してしまった。でも、まさかその野暮用とやらが美容室だったなんて。予想外だ。

 ――ましてや、こんなストレートパーマなんて!

 ギアッチョもわたしも、あのふわふわの、雨の日なんかは手の施し様がなくなる癖毛ちゃんを可愛がっていたはずなのに。なのに、どうしてまた。



「アァ?!」

「ぶっひゃっひゃっひゃ!」

「おいメローネうっせぇぞなに笑ってやがる……ッぶっ!」

「あ、兄貴ィどうしやしたか!」



 今まさにペッシが淹れたばかりのカッフェは、まるでギャグ漫画かなにかのようにプロシュートの口から吐きだされた。形のいい唇からは茶色の飛沫とともに、ギャハギャハと下品な笑いが噴射している。
 笑いながら床をころがるメローネ。その様子を、悪魔のような形相で睨みつけるギアッチョ。彼らの周辺で右往左往するペッシ。
 駄目だと思えば思うほど、わたしは込みあげてくる笑いを抑えきれない。

 先ほどまで穏やかな休日を過ごしていたとは思えない変貌である。それがギアッチョ一人の帰宅によりこのような状態になってしまうのだから、ギアッチョの影響力、いや、直毛のギアッチョの影響力は計り知れないものがある。



「アハハハ!!」

「笑うんじゃねぇええ!! なまえ! テメーもブチ割るぞ!!」

「いーやなまえは正しいね! 教えてくれよ、アンタ一体誰だい?!」

「メローネ! テメーは黙ってろ!!」

「ギャハハハハ!! いーザマだぜ! いっちょ前にイメチェンしたのかァ?!」

「あぁもうウルセェ!! クソッ! クソクソッ!!」



 どっかーん、ばりばりばり。そんな擬音がぴったりはまりそうな暴れようだ。暴君ギアッチョのブチギレ劇場は大体がこのような効果音であらわされる。具体的にうちの暴君はなにをしたかというと、数ヶ月前から放置されている空き箱を殴りとばして、壁に掛かっていた去年のカレンダーを真っ二つに裂いてしまったのでした。ちゃんちゃん。



「物に当るなよ、これだからガキは嫌だぜ」

「誰がガキだ! クソジジイ!!」

「テレビはやめてくれよ、これでもう2台目だぜ」

「黙れッ!!」

「もう行っちまうのかよォ〜? 新しい髪形決まってるぜーッ! 色男!!」

「うるせぇーーーーッ!!」

「ギアッチョ、どこ行くの? 待ってよぉ〜!」

「テメーもついてくんじゃねぇ!」

「ごめんってば〜!」



 揶揄されたことがよほど気に食わなかったのか、ギアッチョは乱暴に椅子を蹴りあげ、豪快な音とともに自室に戻ってしまった。わたしはその背中を追いかけながら考える。ギアッチョのそれは、見覚えのある髪形だった。でも、いつ、どこでだったろう。思い出せない。



「ギアッチョ」

「…………」

「あの、ごめんね。すごい変わりようだったから、一瞬誰かと思っちゃった」

「…………」

「結構似合ってると思うよ、わたしは」

「うるせぇ」

「でも、どうしたの? いきなり……」



 イラついてるギアッチョを無闇に刺激するのは、経験上好ましくない。にも関わらず、わたしは聞かずにはいられなかった。
 というのも、ギアッチョは頻繁にカットはしていたけれど、これほど大掛かりなイメージチェンジを図ったことはなかったのだ。

 せっかく危険を冒したのに、ギアッチョはわたしの問いにはなに一つ答えてくれず、ベッドにどかりと座りこむと、すっかりボリュームダウンしてしまった髪をこれでもかというぐらいに掻きむしった。ギアッチョの貧乏揺すりによってベッドがガタガタと揺れている。相当悔しかったのだろう。ひどいイラつきようだ。



「ねぇ……」

「…………」

「ギアッチョ、今までこういう髪型したことなかったじゃん」

「…………オメーが……ッ言ってただろ、クソッ……。リアリティショーの」

「え?」

「金曜にやってるリアリティショーのッ!!」

「うん? あぁ、先週一緒に見たやつ?」

「そーだよッ! ……それに出てる、男が――」

「男……? あぁ、司会の人ね! ん? ……それで…………えっ?」

「クソッ……!」

「それって、つまり――」

「ダァアアアアアッ!! 黙れ黙れ! なにも言うなッ!」



 先週の週末。金曜の夜だった。出不精のわたしたちがナターレの近づいた街に繰りだす気力などなく、二人でアジトにこもって過ごすことにしたのだ。安物のビールと、デリバリーの中華、冷蔵庫にあった賞味期限の切れたチーズ、湿気ったスナック菓子。ギアッチョはそれらに逐一文句をつけながらも、もりもり食べていた。
 退屈しのぎにテレビをつけてみたが、興味をそそる番組はなく、とりあえずリアリティショーを流しておいた。スター育成型の企画で、その日の脱落者は二名。わたしたちはソファに並んで、歌手やモデルになることを夢見た少女たちが泣いたり笑ったりけなしあったりする様子を、いちゃつきながら眺めていた。

 味気なくも、すごく平和な夜だった。わたしが一言、「この人かっこいい」と呟いてしまうまでは。

 その何気ない呟きを、嫉妬深い恋人が聞きながしてくれるはずもなく。以降、ギアッチョの機嫌は氷点下まで落ちこんでしまったのだった。わめき散らしたり、スナック菓子の袋を引き裂いてちらかしたり、ビール瓶を壁に投げつけたり。とにかく散々だった。こんなことなら外出したほうがまだマシだったかもしれない。そんな後悔までさせてしまうほどの荒れようだったのだ、あのときは。



「ちくしょう……オレだって好き好んでこんなんした訳じゃあねぇんだよ……ッ!」



 言われてみれば、例のリアリティショーの司会の髪型に似ているかもしれない。あまり記憶が定かではないので、確信を持って「似てる」と言いきれないけれど、雰囲気は近いと思う。



「オ、オメーはそういう野郎が好きなんだろ……クソッ。オレもどうかしてたぜ」

「確かにあの人のことかっこいいとは言ったけど」

「アァ?!!!」

「い、言ったけどォ! 髪型が好きとは言ってない、よ……?」



 火にかけたやかんの水が一気に沸騰したかと思えば、しゅんしゅんと音をたて、たちまち冷えていく。そんな百面相だった。



「ハァ……」


 そうしてギアッチョは、脱力した体をベッドにあずけると、額に手をあてた。長い溜息のあとに訪れたのは静寂だった。


「わたしが好きなのはギアッチョだけだよ」

「…………」

「どんな髪型でも、顔でも、声でも……ギアッチョなら好きになるもん」

「もう黙れ……クソッ」



 乱暴に腕を引っぱられ、ぎゅっと抱きしめられた。
 ギアッチョのたくましい胸板。そこに、わたしの頭はすっぽりと埋まってしまう。幸せを余すことなく吸収したくて、深く息を吸いこんだ。ギアッチョの服には美容室特有の香りが染みついていて、わたしの心をきゅんとさせる。せっかくの貴重な休日を捧げてまで、ぷっつんの彼があの美容室の硬い椅子に拘束されていたなんて。その事実は、わたしの両手では抱えきれないくらいの幸福を感じさせてくれる。



「あれ、もう離れちゃうの?」


 抱きしめる腕の力が弱まった。まだ幸せ気分に浸っていたかったのに。


「風呂入ンだよ。切った髪が首に残ってて気持ち悪ィんだ」

「もうちょっとこうしてよーよ」

「ッ……すぐ戻っから待ってろ!!」

「あ、そぉーだ! わたしすっごくいいこと考えちゃった!」

「なんだよ」

「わたしも一緒に入ればいーんじゃない?」

「ハァ?!」

「ねぇ。そしたら、お風呂に入りたいギアッチョも、ギアッチョと一緒にいたいわたしも、どっちも幸せだよ」

「…………」

「ねっ! いーでしょ?」

「ったく……もう勝手にしてくれ」

「やったぁ!」




 ▽  ▼  ▽




「わたしね、こうしてギアッチョの髪をくるくるーって指に巻いて遊ぶの、好きだったの」



 人差し指にギアッチョの髪を巻きつけてみたけれど、強制的に引きのばされてしまった髪は、くてんと指の間をすり抜けて、元の形に戻っていった。かつてはわたしの指に絡みついてはなれなかったのに。つるつるだったキューティクルは剥がれてしまったようで、手ざわりもだいぶ違う。なんというか、ごわごわしている。

 ギアッチョの殊勝な挑戦には拍手喝采を送りたいが、正直なところ、今はあの、もこもこの髪が恋しくてたまらない。可愛いひつじちゃん。そう呼ぶとギアッチョはだいたいキレた。怒り顔すらいとしくて、わたしはわざと煽るような真似をしてしまう。そのやりとりも、パーマがとれるまでしばらくはお預けかと思うと寂しかった。



「……そーかよ」

「うん。でも、今の髪も好き。爽やかないけめんって感じ。眼鏡してないと、余計に」

「馬鹿にしてんのか?」

「えーッ! スッゴク褒めたんだよぉ」


 まったく素直じゃないんだから。ギアッチョは照れ隠しなのかわざとらしく眉間にしわを寄せた。



「お前は……変えんなよ。その、髪とか……」



 ぎこちなくわたしの髪を撫でるギアッチョの手のひらは、くすぐったくなるほどの優しさで満ちている。
 いつだったかわたしの髪を洗ってくれたときなんかは、あまりに丁寧すぎる手つきに痺れをきらして「もっと強くしていいのに」と言ってしまったぐらいだ。女の髪は柔らかすぎて、加減が分からない、らしい。



「だめ? そろそろ切りたいと思ってたんだけど」

「切ってもいーけどよォ……あんま別人ってふうにはすんな。今で充分、カワイー……から、よ……」

「キャー! ギアッチョが素直で気持ち悪いッ!」

「ンだとコラッ!」

「やだちょっとどこさわってんの!」

「テメーが動きやがるからだろーがッ!」

「わっ! やだやだ〜! お風呂でしたくないッ!」

「あんま騒ぐな! お湯がこぼれんだろがッ!」

「んうぅぐ!」



 はがいじめにされ、さらには口を手のひらで塞がれた。これでは乱暴されているみたいだ。
 お湯がこぼれないために抑えつける、まではわかる、スゲーよくわかる。お湯がこぼれちゃ後始末が大変だからな……。だが口を手のひらで塞ぐって部分はどういうことだぁあ〜っ?!声を出してお湯が動かせるかっつーのよー! なめやがってくそくそっー!
 わたしの不満はギアッチョの口癖に変換されて、頭の中で響いていた。ギアッチョの物真似は簡単だ。とりあえず力の限りブチ切れて、あとは汚いスラングなんかを語尾に添えればパーフェクト。四六時中そばにいるわたしが言うんだから、間違いない。

 「もう騒がないから、放して?」という思いをこめた目で訴えかければ、渋々体を解放してくれた。



なまえ

「なぁに?」

「もう、言うんじゃねぇぞ」

「え?」

「ほかの野郎を、かっこいい、とかよ……」

「あぁ、うん、わかった。もぉ〜絶対言わないッ! 神に誓うわ」

「不安になンだよ……そういうの……」

「えぇ〜? いっつもわたしが、こ〜んなに好き好きーってアピールしてるのに〜?」



(ばかみてーだけどよ、まじで好きなんだよ、おめーがよぉ。自分見失っちまうくらいにな。くそっ。)

 たぶんこんな感じのことを言っていたと思う。ぶくぶくと口を半分くらいお湯に沈めながら語っていたので、ところどころ聞きとりにくく、部分的にはわたしの願望がまざっているかもしれないけれど。

 髪型が変わると人は性格まで変わってしまうんだろうか。いつもは考えられないような甘い台詞の数々に、わたしは驚かされっぱなしだ。
 ギアッチョの頭を抱きしめてキスをすれば、まるでガラス細工を扱うみたいな優しい手つきで胸を揉まれた。今日のギアッチョならこのままここでしてもいいかな、そう思ったのにギアッチョは手を止めて、わたしを抱えあげバスルームを後にした。さっき「お風呂でしたくない」と言ったことを覚えていてくれたようで、コンドームのある自室までわたしを横抱きにしていくと、泡も落としきらないままベッドになだれこんだ。なにが彼をそうさせたのか分からないけど、今日のギアッチョは、とてもいい感じだ。

 いつにもまして激しいセックスが終わると、二人揃って眠ってしまったので、わたしたちが"そのこと"に気づいたのは、髪が完全に乾いてしまったあとだった。





 ▽  ▼  ▽




「よォ色男」

「…………」

「あれ。髪戻しちまったのか?」

「…………」

「なんだァ〜〜せっかくイケメンだったのによォ〜! なァペッシ!」

「へ、へぇ……」

「…………」

「わざわざ美容室行ったのか? この短時間でよくできたなァ」

「…………」

「……みんな、笑っちゃだめだよ? ……あのね、これ、お風呂に入ったら戻っちゃったの。くるくる〜って、勝手に……」

「…………」

「…………」

「…………ブッ! ……だめだ、兄貴ィ、オレもう限界っス!」

「奇遇だなペッシ、オレもだ……!」




「「ブッギャッヒャッヒャッヒャ!!!」」

「アッハハハ! アンタまじ傑作だよ!!」

「もー! 笑っちゃだめって言ったのに! ……ぎ、ギアッチョ、抑えて」



「ジェントリーウィープス!!!!」







(20121130 UP)(2019.08/28 修正)髪の元ネタは花より男子の道明寺です


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