ナターレの夜なのに働かされるなんてわたしたちは不幸だ! 高らかにそう宣言したわたしをちらりと見ると、リーダーはすぐに手元の書類に視線を戻し「そういえばギアッチョが帰ってこないな」とぽつりと漏らした。じつに白々しい気のそらせ方である。
自分で言うのも情けないが、すっとろいわたしよりも先に出たはずのギアッチョが、いまだに任務を終えていないのはめずらしいことだった。ついさきほどまで労働条件改善に向いていたわたしの意識は、もう完全にギアッチョの身を案じることでいっぱいだ。リーダーには上手いこと担がれた気もしないではないが、その問題はまた後日。
「ギアッチョはどこに行ったの?」
ギアッチョが戻ってくるであろう方向を聞くと、わたしは軽いカーディガンを羽織っただけの状態で飛びだした。リーダーによると、ギアッチョはおそらくこの一本道を通るとのことだった。任務完了の一報は受けていたので、途中で寄り道でもしているのだろうと暢気にコーヒーを啜っていたが、この通りにはバールはおろか、商店すら見あたらないではないか。
不安を募らせながら辿りついたのは、街外れにある、とうの昔にさびれてしまった教会だった。ナターレだというのに聖歌隊どころか鐘の音すら響いていない。管理者もなく無法地帯となっているようで、天井は剥がれそこから粉雪が入りこみ、割れたステンドグラスからは悲壮感が漂っている。わたしの目から見てもひどい有様なのだから、敬虔なクリスチャンが見れば卒倒ものだろう。
そんな場所に、なぜこの人の姿があるのか。お粗末なドアの隙間から癖毛が見えたときは「まさかな」と目を疑った。いつもブチ切れてる、信仰からは程遠い人だと思っていたのに。まったく、人間とは難解な生き物である。
「なにをしているの?」
自分の口から放たれた言葉にしても、ひどく愚問だと思った。おそらく同じ意見を持ったのだろう。困ったような怒り顔を張りつけて、こちらを見あげていた。ギアッチョの困り顔はめずらしい。いつも怒るか、そうでないか。大抵はそのどちらかだ。
「見てわからねぇのか」
「お祈り?」
「…………」
「……ギアッチョは、かみさまを信じているの?」
「さぁ」
「どうだかな」ギアッチョがあざ笑うように吐きだすと、白い息も一緒になって空に浮かびあがった。ひどく寒い夜だというのに、薄着のままスタンドも出さずに。ロザリオを握る彼の手は赤みがかっていた。いったいどうしたというのか。ギアッチョはとても寒がりなのに。
「こんなに熱心にお祈りされたら、きっとかみさまもおよろこびだね」
「それもどうだかな」
「きっとそうだよ」
「人殺しでもか」
「人殺しも、政治家も羊飼いも、平等に愛してくれるのが神なんじゃないの?」
「ハッ……ンなわけあるかァ」
力なく笑うその横顔はさびしげで、わたしなんかには計り知れない悲嘆で覆われていた。任務で罪のない子どもを殺したときよりも、チームの仲間が酷い拷問の末殺されたときよりも、ずっとずっと。
愛しい愛しいこの人は、いったいどんな艱苦に耐え忍んでいるのか。わたしには想像もつかなかった。ギアッチョが背負った罪や咎の、ほんの一部でもわたしにゆだねてくれたらいい。そんな思いをこめて胸の前で十字を切る。神への信仰の、その本来の妙諦というものを、わたしは一片だって掴めてはいなかったけれど。なんたってわたしは、聖書どころか天使にラブソングを≠フ途中で居眠りしてしまうほどの人間なのだから。
あれこれと考えを巡らせながら、ギアッチョの正面に立って、くるくるの髪を指に巻きつける。
「ギアッチョの髪って、すっごくキュート」
ギアッチョはかわいい≠ニいう言葉で括られるのをひどく嫌う。それを知ったうえでわたしはあえて、それに類似した言葉を彼に浴びせ、そのひどく可愛らしい反応を楽しんだ。
いつもならば怒鳴られるか振りはらわれるか、もしくはそのどちらもなのだが、今のギアッチョときたらされるがままだ。ここまで様子がおかしいと、なにかあったのだろうかと、いよいよ心配になってくる。
「…………」
「……ギアッチョ?」
「…………」
「ギアッチョって、天使みたい」
「…………ハァ?」
「ほら、金髪巻き毛の天使。よく出てくるでしょ、ルネサンス期の絵画とかに」
フランダースの犬のラスト。それと、生き物が昇天するときとか。それから、えーと。わたしがどれだけ懸命に説明しても、ギアッチョの眉間のしわはいつまでたっても「俺を使いに選ぶなんてもの好きな神様だ」と言っていた。たしかにわたしたちは、人の命は奪えども、救ったことなどない。あえて形容されるなら、わたしたち暗殺者は死神といったところだろう。そのほうがよほどしっくりくる。
「あぁ、まじで意味わかんねぇ」
「わかんなくてもいいよ。心配しなくてもギアッチョはかみさまにちゃんと愛されてる」
「もう黙れよ」
「うん、黙るよ」
「………」
「……………!」
(なんということでしょう! かみさま、今わたし、ギアッチョにぎゅっと抱きしめられました!)
実際のところ、抱きしめるというよりそれは、すがりつくに近かった。ギアッチョの意外と男らしい無骨な指がぎゅうぎゅうと腹部をしめつけた。圧迫によって呼吸が苦しいし、やわらかい癖毛が肌にあたって少しむず痒かったけれど、わたしはこの機会を逃しはしないと沈黙し続けた。
「寒みぃな、ここ」
「うん、寒いよ。すっごく寒い」
「お前なんで来たんだよ。つーか、よくこの場所がわかったな」
「なんか、呼ばれたような気がして。わたしのことぎゅーってしたい人に」
したり顔でそう呟けば、途端に体を引きはがされて、おまけに持っていたロザリオで頭を叩かれた。涙目で訴えかけようと顔を持ちあげれば「気持ち悪りーんだよてめーは!」なんて罵倒まで降りそそぐ。勝手に抱きついてきたのはそっちなのにあんまりの仕打ちだ。わたしとギアッチョでなければ喧嘩のひとつでも勃発していたところである。
「だーッ! ひっつくな! クソッ! クソクソッ!」
「やーだ。こんどはわたしにぎゅってさせて」
「なにがぎゅっだよふざけんな……クソッ……」
「ナターレの夜なんだから甘えさせてよ。ね、いいでしょ?」
「よくねぇよ……つーかお前、すげー冷えてんじゃねーか!」
「うん?」
さっきは女扱いなんて程遠いぞんざいさだったくせに、今度は「女が体冷やしてんじゃねー」なんてわめいている。掌でわたしの手を包みこみ、甲斐甲斐しくも摩擦で温めようと試みているようだ。優しいのか酷いのか、不思議な人だ。
ギアッチョが抱えこんでいるなにか≠心配する反面で、身勝手な思いあがりに心のときめきを抑えきれないでいた。照れかくしの激昂も、矛盾した優しさも。ぜんぶぜんぶ。今はすべてわたしだけのもの。なによりギアッチョがほんの束の間でもわたしを必要としたというその事実が、幸福として胸のなかにじわじわとしみこんだ。
たとえ神の寵愛を受けずとも、あなたが好きだとのたまえば、神はわたしを嗤うだろうか。
(2012.07/14 UP)(2019.07/07 修正)
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