「ねぇ、ギアッチョ、見て見て」

「アァ?」



 わたしにはわかる。
 このしかめっ面は、ただ不機嫌なだけではない。「連日暑いなかこき使われてやっとなまえと二人きりになれたって〜のに服の話かよ。早くイチャイチャしよーぜ!」という鬱憤がこもっている。きっと、ほかの人の目には、どれも同じ不機嫌な顔に見えるのだろうけれど、わたしは違う。ほんのわずかな表情の違いを感知できる。たとえ眉間にしわを寄せていても、目尻のちょっとした下がりかたで、あぁ今日は機嫌がいいんだな、なんて察するのだ。
 わたしはギアッチョの表情やしぐさだけでなく、好みに関しても熟知している。たとえばこの服。清潔感のある感じとか、色合いとか。ギアッチョの好きなデザインのはずだ。

 ただひとつ、すこしばかり布の面積が狭い点を除いて。



「可愛いでしょ? 昨日買ったの」

「あー、わーったわーった。ファッションショーはいいからさっさとしろよ。ジェラート食いに行くんだろ?」

「うん、行くよぉ」

「だったら早く着替えてこい」

「え?」

「まさかンな格好で出歩く気じゃあねーよなァ?」



 やはり露出度の高さが気に入らなかったようだ。
 ギアッチョはいつだって一途にわたしを愛してくれる。そのへんの男なんかと違って絶対に余所見したりしない。純粋にうれしいし、彼の美点のひとつだと思う。
 ただし、それに彼の不器用さが相まって、ギアッチョの目に見える愛情はときとして少々過激だ。

 たとえばわたしが、男の人と楽しそうにおしゃべりでもしていれば、相手が誰であろうと場の空気を(物理的にも)凍らせてしまうし、今みたいに人前で露出度の高い服装をしようとすれば外出を拒否されてしまうのだから、わたしにとってはわりと深刻な悩みになりつつある。
 いくら恋人の頼みとはいえ、おしゃれがしたいし、着たい服を着られないのはごめんだ。それに、今時期の南イタリアならこのくらいの薄着はめずらしくない。海岸沿いで日光浴している人たちに比べれば、わたしなんてお行儀のいい部類だろう。



「このぐらい普通だよ。これ以上着こんだら暑くてとけちゃうもん」

「オレのスタンドの能力を忘れたか? 火の海だろうと寒いぐらいに冷やしてやるよ」

「……でも、今日はこれを着て行きたい気分なの」

「アァア?! そんなに外出たいっつーなら全部脱いでけッ」



 肌の露出が多いという理由で外出を拒んだのに、まったくどうして全裸で街中をぶらつかなければならないのか。

 ――なんでそうなんのよ、バカじゃないの、ギアッチョのばーかばーか!

 わたしの心の声が届いているのかいないのか、ギアッチョのこめかみには青筋がたちはじめていた。負けじと眉間にしわを寄せ、うらめしげに見つめる。この手の表情に関しては目の前にプロフェッショナルがいるので、わたしはそれを参考にして怒り顔を作りあげる。憤激した人間の役作りならば、手本に困ることはないだろう。



「心配しなくたって、ギアッチョがそばにいてくれるでしょ 。……嫌ってほどに」

「アァア?!」

「もう、うるさいなぁ」

「……いくらオレでもお前を見る野郎全員の目隠しはできねぇんだよ」

「わたしのことなんて誰も見ないよぉ。ギアッチョって意外と自意識過剰? っていうかさぁ」

「自意識過剰っつーのは自分のことだろうがよォ?! なんで他人のテメーのこと気にしてるのに"自意識"になるんだァ?! 馬鹿かオメー!」

「同じようなもんじゃん。……あ、ていうかギアッチョ、わたしのこと気にしててくれたんだ? わーうれしい」

「〜〜こンのクソクソクソアマッ!!」

「もー、ギアッチョうるさいよぉ。ちょっと静かにしてー。ギアッチョがぎゃんぎゃん騒ぐからなんか頭いたい」

「ッテメェ……!」



 両手で握りこぶしを作るギアッチョは、怒りを擬人化したキャラクターみたいに見える。
 イラついているのはわたしだって同じだ。このままではくだらない痴話喧嘩に貴重な休日が潰れてしまいかねない。
 だいたい、こんながらの悪い男が連れた女なんて、どこの誰が誘いをかけるというのだろう。ギアッチョはなんにもわかっていない。脳みそまで氷でできた、わからずやだ。



「まァでも、……お前を見る野郎どもの目玉を凍らせてもいいってんなら話は別だぜ?」



 グラスについた雫が、ピキピキと音をたてて凍りついていく。暑さすら感じていたはずの部屋が一瞬にして冷蔵庫だ。



「ぎ、ギアッチョ……」



 どんなに腹わたが煮えくり返ろうとも、ギアッチョは怒声を張りあげるばかりで、決して暴力を振るうことはない。
 ただ、それは相手が"わたし"だからであって、他人に対してはなにをするかわからない。それこそ、人を殺すのだって厭わないほどに。
 そのへんのチンピラであれば一笑に付す脅し文句も、この人なら実行してしまうから恐ろしい。


 万が一そうなってしまった場合、ほんとうに目玉が凍ってしまった場合、一体どうなってしまうのだろう。
 凍ってしまった目玉はその後機能するだろうか。移植をする場合、臓器を低温保存するというし、意外と問題なかったりして。お湯をかけて3分待てば元通りになるかな。

 日曜の真昼に目玉の凍った男たちが続出する、阿鼻叫喚の状況を思い浮かべたところで、わたしはしぶしぶ白旗をあげた。これはネアポリス市民の平和な休日を守るための、苦渋の勇断なのである。



「……だったら今日は出かけない。ジェラートはギアッチョが作ってよ」

「おいおい、なんでそーなんだァ? 違う服着るっつー発想はねーのかぁ?!」

「だって、特別今日じゃなきゃいけない理由なんてないし」

「ハァ?!!!」

「ギアッチョだって新しいスニーカーを買ったら、それを履いて外へ出てみたくなるでしょ? だいたい、服を着て出歩けないなんて買った意味がなくなっちゃうよ」

「…………」

「ねーえギアッチョ、人の少ない夜ならいい? せっかく買ったから外に出たいの、おねがい」

「………………チッ」

「ほら見て、ここ。背中が開いてるの。……可愛いでしょ?」

「……見てるだけじゃあ足りねぇよ」



 有無を言わさず腕を掴まれ、唇に噛みつかれた。後頭部にまわされた手のひらも、わたしの口内を貪る舌までもが冷たい。その後、凍った指先は、わたしの背中をいやらしく伝い、下へ下へと降っていった。ちょうど臍のあたりで動きを止めたかと思うと、さきほど罵倒した洋服に手をかけ、するりと服のなかに入りこみ胸元をまさぐった。指の冷たさで反射的にぶるりと体が震えれば、その様を見てギアッチョはさぞ満悦だとばかりに笑った。
 まったくもって不愉快極まりない。この男、どうしてくれようか。

 このままではわたしは服を脱がされて、デートもできず、なにもかもギアッチョの思惑通りになってしまう。
 わたしはギアッチョを愛しているし、それは向こうも同じだ。だからギアッチョといちゃいちゃするのも、キスするのも好きだけれど、でもだけど、それとこれとは話が別だ。

 だって、こんなの、最初から最後までギアッチョのされるがままで、ちっとも平等じゃない。ギアッチョは自分勝手だ。あんまりだ!



「っ……ギア、ッ、ちょ、……んッ、っ…………ギアッチョってば!!」

「……なんだよ」



 可哀想な洋服。可哀想な50ユーロ。わたしはこの服のためにも、一矢を報いてやらねばなるまい。



「ねぇ、ちゃんと答えて」

「は?」

「さっきの服!」

「……? あー、可愛い可愛い」

「ほんとに思ってる?」

「アァ?」

「ちゃあんと心をこめて褒めてくれるまではさわっちゃだめでーす」

「ックソ……………………似合ってるよ」

「えっ、なになに?」

「ッだーッ! ……っクソみてーに可愛いしめちゃくちゃにしてやりたいくらい好きだよッ!」

「わぁ……!」



 たった50ユーロで、これだけの褒め言葉を引き出せたのだから上出来だ。服の感想以外のことも聞けたし、これはメローネ風に言うとディ・モールトラッキーだったと思う。叶うなら録画して何度も再生してやりたいくらいだ。



「ギアッチョがぷんぷん怒ってばっかりいるから寒くなっちゃった」

「……来いよ」



 ギアッチョが両手を広げるのは抱きしめてやるの合図だ。わたしは当然とばかりにその胸に飛びこんで、当然とばかりに胸のぬくもりを奪いとる。
 まるで氷山のようだったテーブルの周辺は一瞬で融解された。それとほぼ同時にわたしたちは二人、絡まりあいながらソファになだれこむ。スタンドも解除されて怒りも収まった今ならば、室温が元に戻るのもそう長くはかからないはずだ。なにしろ8月だし。きっとじきにわたしたちも、窓ガラスを一枚隔てた向こう側とおなじになる。




(2012.03/23 UP)(2019.08/27 修正)



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